やっぱり書こうと思うこと── こうして書いている。
(以前投稿していた、小説投稿サイトのこと)
考えさせられた。
詳しいことは分からない。でも、「不正」はあると思います、という意見を見たことがある。
ランキングの上位に、「正しくない」仕方で、行ける方法があるらしいのだ。
知り合いにやんわり頼んで、イイネ!を押してもらったりするのか、どういうやり方か分からないけれど、とにかく「ただ書いて、ただ評価される」のでない、ということがあるようだった。
自分には、分からないことが、ほんとうにいっぱいあるんだと思った。
何が分からないって、そこまでして読まれたい、評価されたい(しかもそれは本当にただの形なのだ)とする心理が。
そのことがどうしてこんなに気になるのか。
僕にも、読まれたい、評価されたい願望があるからだ。
ただ、僕には不正ができない。などと書くと、どこかで、こう書くことで、一種の優越感のような気分が芽生える。
不正をしないのは当たり前のことなのに、まるで自分が正しいことをしているような気になる。
何なんだろうと思う。
「認められたい願望」がある。
が、人を押しのけてまで、というのがある。
が、ランキングというのは、結局そうなってしまう。
イヤだな、こんな世界、と思ってしまう…。
介護の仕事でも、「自分はイイことをしている」と意識する時があった。
自分としては好きでやっていたけれど、「客観的に」見たときに── たとえば入居者さんとほんとに和気あいあいとやっている時など── 「まわりの評価」を意識してしまう時だった。
そんな意識をする自分がイヤだった。
が、そういったまわりの評価が、施設内での僕の立場のようなものに、大きく左右することを知っていた。
自縄自縛、としか言いようがない。
そんな意識など持たずに、自分は自分として、どこまでもワガミチを行ければ、と思う。
文を書き、それを投稿するのは、一人作業であって、一緒に働いている仲間がいるわけでもない。
評価が、僕の生活を脅かすことはなく、息が吸いにくくなるわけでもない。
あくまでも僕は「好きで」投稿していることになる。
それだけでいいだろうに、なぜその上、「認められたい」が出てくるんだろうと思う。
認められなかったら、書かないのか?
そんなもんなのか、お前は、と自分に言いたくなる。
ただ僕が云いたいのは、結局月並みなことだ。
ばかばかしいほど、月並みな。
だからそれを愛したいと思う。
ひとさまに、迷惑をかけないこと、ひとさまを、イヤな気持ちにさせないこと…
それができることが、ほんとうに、りっぱなことなんだと思う。
「正しさ」とか「正しくない」の規準は、ひとさまに対しての、そういう態度、心持ちの、支え棒のようにあってほしいと思う。
ほんとうに僕は、何のために書いているのか。
定期的に、必ず自問することになる。
そうしてこんなことを書いて、どうなるのかという…。
(2022.3.22.)