こどもというのは、ひとを、あやしまない。
多少ヘンな恰好をしているひとを見ても、「ああ、ひとがいるなぁ」と、ただ見ることができているようにおもう。(なんであんな恰好をしているんだろう、おもしろいな、と好奇心のほうが、警戒心を上回るような)
それを純心、と呼ぶならば、そのような心をもったこどもに、卑劣な行ないをするおとなを、ぼくは許せない、というふうな気持ちをもつ。
おとなが、おとなに愚劣な行ないをする以上に。
いつの頃から、ひとを、あやしむようになったろう?
不信。どうせ違うのだ、というあきらめ。
あのひとはオカシイんだ、といったようなヘンケンの目。
いつのまにか、この身に備わってしまった。
いつか母が、ぼくが子どもの頃、前のほうから歩いてきた身体障碍者のような方に、「悪いことをすると、ああなるんだよ」と教えてくれた記憶がある。
「お母さん、それは違うよ」とぼくは言えなかった。ウノミするのみだった。ああ、そうなのか、と。
たぶん『教育』上、いささか歪んだ教え方であったにせよ、「悪いことをしてはいけません」と、母は教えたかったのだろうと想像するが、母の言ったことで唯一、「それは違う」と言いたいことである。
かめ家はかなり放任的なところがあって(それはミツル君(ぼくの本名)がそうさせたんじゃないの、と親戚から言われたこともあったが)、およそ教育的なこと(何が教育なのかよく分からないけれど)とは、ほぼムエンな育ち方をしてきたと思っている。
中学校には「特殊クラス」というのがあって、何か知能が(この知能というのも何が知能か分からないが)「遅れている」── 要するに「普通」と違う子が、その学級にいた。
給食のとき、そういう子と席を前にしていると(中学には給食室があって、そこで全生徒が集まって食べていた)、ぼくはその子の何が普通と違うのか、という違いを、探るようにして見ていたと思う。
バトミントン部でも、特殊学級の子がいて、やはりぼくは同じような目で見ていた。
だが、特に何が違う、というものは、なかった。食べる時、口が「普通」の子より、少し大きく開くかな、とか、体育着のシャツをみんなはズボンの外に出しているのに、中にしまっているな、とか、そのていどだった。
考えてみれば、ぼくが「特殊学級」に入ってもおかしくなかったのに、と思う。
そのサベツ化をはかるような、ある基準というのは、もちろんあるだろう。勉強の理解の速度が遅いとか早いとかで、「普通学級」に「遅い」子がいては、ついていけない、とか。
だが、ぼくだって、授業についていけていたのか、あやしいものだ。今だって分数の計算もできないし、割り算の式も立てられない。右か左かだって、子どもの頃、鏡を見て、鏡から見ての左なのか、それとも鏡に映っている自分から見ての左なのか、わからなかった。今だって、この鏡に対しての左右の判断がつかない。
何も、サベツをなくしましょう、などと、役所が旗に掲げるようなキレイゴトをいうつもりはない。
それより、あの、こどもの頃の「まったくサベツをしていなかったような意識」が、いつのまになくなってしまったのかな、と、そっちのほうにとらわれる。
おとなになるにつれて、柔らかかった体もカタクなった。
せめて頭くらい、柔軟でありたいとおもう。ついているシミは仕方ないが、なるべく洗濯して、きれいな── きれいとさえ意識もしないような、心でありたいとおもう。
醜いも美しいも、ただそれを、アレッ? と、ただ見る。おもしろいな、とか感じたりする。
そう、感じられること。感じることができること。
それで、十分ではないか。