庭を見れば、ロウバイとモミジの間に、クモの巣が。
陽光に輝いて、とても綺麗だった。
風向き、距離を考えて、しっかり作っていらっしゃった。
昨日、家人から、ビーバーの話を聞いた。
彼女はカナダに長く住んでいたので(日本人ですが)、ビーバーがよく出没したらしい。
ある日、隣りの家の池に、ビーバーが住み始めた。
せっせと家をつくり、赤ちゃんを産んで、彼らは「蓮の葉」を好んで食べた。
だが、赤ちゃんは、まだ上手に食べられず、蓮の大きな葉っぱにしがみついては沈没したりして、それはそれは愛らしくて仕方のない姿だったらしい。
野生のもの、自然といわれるものから、学ぶことが多い。
ビーバーはいないけれど、ヤモリ、鹿、カエル、野鳥、木々…
どうしたわけか、尊い、いのちだなぁと思う。
みんな、一生懸命、生きてるんだなぁ、と思う。
ニンゲンだけだな、と思う。あれこれ不平不満を言って、あれが理想だ、これが理想だと、自分でつくった理想に幻滅し、また不満を自ら作って。
昨日見たクモの巣が、今朝は、どこかの糸が切れたらしく、ぐにゃぐにゃになっていた。
中央に、それでもじっと、その巣の主、いらっしゃった。
アリはせっせと、萩の新芽でアブラムシを育て(食べるために!)、ミミズは土を養い、土に養われ、その中に木々は根を伸ばす。
空を見れば、雲が風に流されて、雨も降らせば陽光も注いでくれる。
カナダのビーバーは元気だろうか。
彼らの作る家のダムは、川の流れさえ変えてしまうらしい。
ニンゲンが、その力を誇示するために作るような、立派な建造物、住宅、ハコモノ。
それらは、クモの巣やビーバーの家に及ばない。
落葉樹は、冬が来れば葉を落とし、霜に備えて自らの根を守る。
鳥は、時季が来れば、然るべき方向へ飛んでいく。
いのち、ひとつひとつ。
「うまれた時から、知ってるよ」
彼らから、そう言われている気がする。