花雪風

 私はたまにフラッシュバックするのだが、そのきっかけとなるものの代表格が、花と、雪と、風である。
 毎春、沈丁花の香りには心がざわつく。そしてその時その時の、もう過去となってしまったその瞬間瞬間が、ぶわっと心を覆い尽くす。

 子どもの頃の思い出。
 縁側から見えた庭にあった沈丁花。祖母が日向ぼっこをしていた。その陽射しの中に、小さく舞っていたホコリの舞い方。

 子どもの頃嗅いだ沈丁花の香りは、不思議な感じがした。
 なんとなく春だなぁという、あの生ぬるい、艶かしい空気の中で、気持ちの落ち着かなかった20歳の頃は、あの沈丁花の香りが、鋭く私の中の何かを触発した。
 よく、泣けてきそうになった。

 師走の花屋のシクラメン。
 なんとなく慌しい感じのする12月に、店先から凛としてこっちを見ていた花弁。

 初夏の日の、どこかの公園の芝生に咲いていた、シロツメクサ。
 白い小さな花。茎から抜いて、1本1本、茎どうしを結び合うと、子どもの頭にちょうどいい花飾りになった。
 天気のいい、のどかな公園。

 雪は、どうしようもなかった。とにかく降ってきて、ビルや民家の屋根、道路、あらゆる所を白くさせていた。
 私は東京育ちなので、雪がめずらしかった。だが、何か節目節目に、雪を見ていた。
 私が先妻と別れた、東京駅のホームにも、雪が降っていた。
 兄の結婚式の日も雪だった。

 風は、空気の流れ。
 ふわっと、何かその瞬間に流れる空気の感じがある。すると、あっ、このふわっとさ、と、私の中の何かがざわめく。

 そして、ああ、この感じは、と、いつの日にか感じたあの空気が自分の中に蘇り、せつなさとはかなさを感じるだけで精一杯になる。
 その私は、帰れないあのいつかの日のことを、ただ胸いっぱいに感じることしかできないのである。