福が来て、最初の年が暮れ、明けた。
それまで私は、いろいろなキャットフードを買い与えていたが、高価も安値も関係なく、福は喜んで食べていた。
むしろ、安いフードほど、福は喜んで食べている様子だった。
だが、身体に良いものを食べさせたい思いから、かなり高級なプレミアム・フードに変えてみたのだ。
やはり味が違うのか、福はまさに皿が顔になるほどがつがつ食べていた。
食べ終わると、顔を洗い、毛づくろいをし、うっとりとスフィンクスの体勢になって眠り始める。
そこまでは、いつもの福だった。
だが、すぐに目を開け、残ったフードをカリカリ食べ始め、その日1日分のご飯をあっというまに平らげてしまった。
さらに礼儀正しくお座りをして、こちらに視線を向け、「もっとちょうだい」と言ってくる。
「もう食べたでしょ。ナイナイ」私は言い、そっぽを向く。
すると福は、こちらの視界に入るところにやって来て、改まってお座りをし、ニャア、と言ってきた。
「ご飯? ナイナイよ」私はまた首を振る。
だが、福はにじり寄って来て、棒のような前足を伸ばし、私の肩や腕をチョイチョイしてくる。
「ナイナイナイナイ!」私が激しく首を振った。
すると福は「ううっ」と言って、ダダダと走り出し、ダンボ―ルの爪研ぎをバリバリ引っ掻き、キャットタワーを一気に登ってタンスの上にドスンと飛び乗り、畳の上にバタンと飛び下り、部屋を駆け巡った。
やがてうろうろ哀しげに歩き、再びスフィンクスの体勢に入り、ゆっくり眼を閉じ始めたが、顔だけはこっちを向いている。
私が少しでも動くと、福はパチッと目を開け、私が立ち上がれば福もすっくと立ち上がり、私の行くほう行くほう、足元にまとわりついてきた。
私の家人は、福の食欲を刺激してはいけない、と、ポテトチップスなどを食べる時、新聞紙で顔を隠して食べていた。
彼女は意志が強く、1日の給餌量以上をけっして福に与えようとしなかった。
福もそこは分かっていて、「ご飯をくれるのはコイツだ」と、私にばかり寄って来た。
そして私は、その執拗さに負けて、結局キャットフードをザザザと皿に注いでしまう。
福が目をつむり、食べ始め、食べ終わり、「もっと」と見つめてくれば、もう面倒なので、またザザザと皿に注ぐ── この反復作業を、繰り返していた。
「福、最近太ってきてない?」やがて家人が私に聞いてきた。
私は「見たくない」意識が本能的に働いたのか、あまり福のことを見ていなかった。
私は、伏せをした福を、まじまじと正面から見つめた。
それは◎そのものだった。内側の○が顔で、外の○が、胴体である。
歩くとドスドス音を立て、たるんだお腹がユサユサ左右に揺れていた。
「みっともない…」家人が眉をひそめて言った。
この時、やっと私はプレミアム・フードの袋に表記されている、1日あたりの給餌量を初めて真剣に読んだ。
それまで、安値のフードと同量を福に与えていたのだが、このプレミアムフードは、それまでの庶民的なご飯より、カロリーも相当に高かった。
さらに私は福に要求されるがままに、皿に盛り続けていたのだ。
私は、低カロリーのダイエットフードに、福のご飯を切り替えた。
だが、福の食欲の導火線は、ジジジ・ジジジと、たえず福をたきつけているようだった。
軽々と食べ終わり、あの「もっとちょうだい」光線でこっちを見つめてくる。
「ごめんねごめんね、我慢しよう、我慢しよう。太ると身体に良くないんだ、お前のせいじゃない、オレのせいなんだ」
私は福に土下座する思いで言い、「もう、1日の給餌量以上与えまい」と心に決めた。
だが、2、3日後、空になった食器皿のそばで、福がきらきらボールをガジガジ噛んでいるのを見た。
せつない光景だった。
そしてその哀しげな目から、大粒の涙がひとしずく、こぼれ落ちようとしているのを見てしまったのだ。
私は、もうダメだった。