キルケゴールの生き方

 見習いたいと思う。「自分は〇歳までしか生きられない」と思うこと。自分の人生を、「ここまで」と規定すること。

 だから彼は、あれほどまでに「生」に集中することができたのだ。自分のやるべき仕事、自分のするべきことに、まさに邁進できたのだと思う。

 それが単なる思い込みであったとしても── まったく、いいではないか。

「死ぬ自由さえ奪われたくない」モンテーニュは言った。

 そう、自由なのだ、頭で描くこと、心に浮かぶ雲に乗り、胸に湧き立つ泉にこの身を浸すことは。

 その限りにおいて、全く自由なのだ。

 自分で決めること。

 そうして、生き生きと、自分の定めた運命を辿ること。

 限りある命と知りながら、それをほんとうに知っている人は少ない。

 まるで限りなんかないように生きている。だからうだうだと、だらしなく、のほほんと、ばかみたいに生きることになる。

 いや、ばかだろうが利口だろうが、どうでもいいことだ。そんなことより、自分の足で歩くことだ。

 この足が、ここにあることをほんとうに知るべきだ。

 誰の足でもない、この、この身に備わった足が、ここにあることを、よく、よく知ろうとするべきだ。

 誰のものでも、もしかしたら自分の足でもないかもしれない、この足をよく見つめ、観じ、足の声を聞くべきだ。

 自分自身を、己のために、己を自分自身に生かし、善悪の判断、人間にのみ持ち得るところの善悪、この判断を間違うことなく、己の生命を正しく使うべきだ。

 疲れた時は、しっかり、くたばっていよう。動ける時は、動いておこう。

 かぎりあるいのち、かぎり、ある、いのちを正しく使って、ちゃんと死んでいこう。

 生ばかりを慈しむなかれ!

 自己に対して、そのような姿勢で生きる者は

 きっと、他者に対しても

 だから、世界もきっと…

 まやかしのやさしさでなく、ほんとの優しさをもって、きっと世界も。

 ゆっくりゆっくり、きっと変わってく?