「戦時下であること」というタイトルで

 某小説投稿サイトで、そんなタイトルで400話近い連載を書いてきた。
 この連載、もう終えたい、終わりたいと何度か思った。でも、そうできなかった。戦争のことは忘れたくないし、忘れたくないなら書きたい、どうせ書くだろうと思ったからだ。
 何のためにか、意地のような面もある。戦争が終わらない間は書き続けてやる、という。自分に対する、妙な意地だ。何にもならぬ、ばかみたいな意地だ。
 考えてみれば、何も戦争は今に始まったわけでもなく、報道されていないだけでアフリカの方では内戦、内紛が絶えずあったのではないか? これからもあり続けるのではないか。そう考えたら、途方もなくなった。
 意地というより、書くべき、書かざるを得ぬ、要するに書きたいということ、それだけのことだ。たぶんほんとに大切なこと… 結論も結果も出ない、だからこそ大切なことと思う。
 およそタイトルと離れた、個人の日常のどうでもいい話も書いてきた。でも自分でこのタイトルを見て、ここに何か書こうとするたびに、戦争のことを否が応にも考えざるをえなかった。自分で自分をそうするように仕向けてきたといえる。そうしたかったのだ。
 だって読み手、書き手の「関係」に限らず、そんなところに留まらぬ、この世界、今ここにある世界の問題、と思えてならなかったから。この世界に生きてきた人間の問題、と。
 一体、いつまで続くのか分からない。
 ただ甘っちょろい言葉で言うなれば、寄り添い、忘れないということ。異国の地であろうと、同じ国の、離れた場所で起きた地震であろうと。
 せめて、この世界にいて、生きて考えることができるうちは。