医者を志したセリーヌが、そのために書いた論文は、およそ医学的な学識、知識とはかけ離れていたという。論理的、学術的というより、むしろ文学的な、倫理的な、美しい「作品」であった、と。
 医師免許を取得するために書いた論文。これで免状が与えられなかったら、彼が医者になることもなかった。

 若き日のセリーヌには憧れの存在がいた、産褥熱の流行をふせぐために力を尽くした、ゼンメルヴァイスという医者だ。産褥熱、この病気の犠牲者は、おもに貧しい人たちだった──
「母親たちは、医学生たちによって殺されている」そう推測したゼンメルヴァイスは、それを実証してみせた。そして死亡率を低下させた。
 だが、彼の同僚たちの嫉妬と無知によって、彼は退職を余儀なくされる…
 彼の退職後、また死亡率が上がっていく。

「世界は、知恵によってよりも、虚栄によって進められている」(大江健三郎「小説の悲しみ」)

 時は移り── ナチ・ドイツの末期。亡命のためにセリーヌは逃げ回っていた。妻のリリ、猫のベベール、俳優で友達のラ・ヴィークと。
 自分たちの身を守るだけで大変な情況。
 でも列車の中に置き去りにされた赤ん坊を見つければ、もうセリーヌは放っておくことができない。しっかり面倒をみて、しっかりした人の手に渡す…

「私は、もし自分がこの赤ん坊だったらと思う。顔つきこそ犬のように恐ろしいが、偽善的でなく優しい小父さんに見つけてもらい、医師の経験をつんだ大きい手に持ち上げられて、どんなに嬉しかったことだろうか!」(「小説の悲しみ」)

 また同じ戦時下、停車場で十数人の精神薄弱児たちが乗ってくる… 引率する女は血を吐いて死にそうだ… 女は、医師・セリーヌに言う、「この子たちの世話を頼みます」。
 ええい、こっちだって血を流してんだ!(爆風で飛んできた瓦で)、とセリーヌは書いているが、この子ども達のことも引き受ける。

 ほかの停車場でも、戦時下のとんでもない現実の中で大奮闘だ…
 後年、「年代記作者」となったセリーヌは、その戦争における情況のことを克明に描いている。

《頭がおかしくなろうが、そうでなかろうが、いつまでも私に残っているだろう… まったく若い頃習ったことは、彫りつけられて残るのだ… それから後はもう物真似、複写、労役、ばかていねいなお辞儀の競争だけ…》

 彼の優しさ、それは生来の気質によるとしても。
「若い頃習ったこと」── 人間の嫉妬と無知、そして偽善、虚栄のことだろうか。