「よく、死をみつめること。これは無戦の世界へ導く自覚と思うが。」
「むりむり、死ぬんだから、それまで好き勝手してやろうって輩がいるよ。俺はそのクチだ」
「それは自分のことしか考えられない、さもしい人だ… だって、自分が生きてるのだって独りで生きてるわけじゃないのに。空気があって水があって、草木があって、山や川、そこに人、牛、豚、鳥、木の実、果実、様々なものがある世界だからこそ、生きて来られただろうに。それを壊すなんて自傷行為だよ。それも、これも、かれもわたしも、そして必ず死ぬものだ。知っていることと自覚することは違う。いつか死ぬことは誰だって知ってる、でもそれは知ってるだけで、自覚ではないよ」
「ほんとうに自覚すれば、まわりのことも知れるってことかい。」
「知る、って、そんなたいしたことじゃない。よくみつめる、観ずれば、それは事実なんだ。コップが落ちて割れる、蕾が開く、雨が降る、陽が射す、机の上に写真がある、これらは事実であって知ることではない。存在、あらゆる存在がそうして在るということだよ。そこには意味も大義もない。人知、智を越えたものが、それを見る自己、そこにあるものとの関係、つながりを、微妙に霊妙に絶妙につくってるんだ。われわれはつくられた、草木、砂塵、宇宙に散らばる無数の星と同じさ」
「だれがつくったんだ、一体?」
「人間には計り知れないものだろうよ。言葉でそれを言い表わすことはできない。それを人間は言葉で考える、論理的に、知ろうとする。それより、よくみつめること、観ずることだ… 知ることなんて、何とちっぽけなことかと気づくよ。そしてちっぽけなことが、おおきなものに繋がっていることも。そうしていつか死ぬことも、あらゆる存在が。それがほんとうに自覚するってことだ。」
「はあ…。でも俺ぁ、どうせ死ぬんならそれまでに好き勝手やりてえな」
「そうやってくと、今みたいな、あちこちで殺し合う展開になるよ」
「よく自己をみつめればいいのかね。死ぬことなんて考えたくもないが!」
「残念ながら、いつか死ぬんだよ。きみに限ったことじゃない。そして限りがある、いつか死ぬ、だから仲良くやりましょうってことになる。寛容な精神、それは自覚から身につくものだ、単純なことなんだよ、実は。ほんとうのことは。」