内なる自然、外なる自然

「荘子」の。
内なる自然と外なる自然、
このこと、よく考えながら歩いている。

その内篇と外篇。
内なる自然に従えばよい、という後期の荘子学派。
外なる自然に従えばよい、という初期の荘子の姿勢。

町を歩けば、人がいる。
各々、夫々、一人一人、

一人一人の中に、真実があり、…

この「内なる自然」の自然は、真実、運命、とも代言できる。

それは一人一人に限られている。
一つ一つのものだ。

ところで、真理というと、まことのことわりだ。
道理、真理のみちすじ、と言っていい。

それは一人一体の中のものではない。
それは一人一人をつくるもの──
つくられるものを創造するもの、
真理、道理。

一人一人、一体一体が、そうなっている、
そうさせているものの…

と、行き交う人たち、一つ一つの「自然」、
それを包容する、おおきな真理としての「自然」、
それについて考えざるをえない私の「自然」、
三つのことを考えた。

この頃、歩くたびに、そのことを考える。
東大寺、大仏殿前の参拝道、シカやら観光客やら修学旅行者やら。
バンビがいて、可愛かった。