ちくま学芸文庫。
ブ厚い本だ。上下とあって、下の〈さとりとは何か〉という帯が気になるが、まず上を。
「スッタニパータ」「ダンマパダ」「ゴータマ・ブッダ」(いずれも講談社学術文庫)、「ブッダ最後の旅」(岩波文庫)、「ブッダ伝」(角川ソフィア文庫)等々を読んでいたから、ブッダの言っていたことは大体「また読む」ことになる。
この「原始仏典」(上)には、〈ブッダの肉声に触れる〉という帯が。
何年か前に買って、ざっと「触れた」ていどに読んだ… 読んだと言えるかどうかも怪しい本。改めて、じっくり読んでみようと思った。
しかしセリーヌといいブッダといい、何か現実離れした本ばかり読んでいる気がする。というより、現実が、彼らが説いていたことから離れすぎてしまった感がある。
すごい情熱と忍耐の人間だったセリーヌも、「ほんとうの人間としての生き方」を説いたブッダも、だんだん読まれなくなっているのかと思うと、淋しい。
中村元という人はほんとに美しい、きれいな日本語で、朗らかに、滑舌よく喋られる。YouTubeでもぼくはお世話になっている。立派な学者さんだったと思う。
ブッダの説いたことを、もうぜんぶ、すべて知っていらっしゃるような…。
ただ知る、知ってるだけではダメなのだ。それを実践、そうして生きていかないと。
この学者さんは、ブッダの仏教を解説、わかり易い言葉で伝える── それがこの人の生きた生、実践だったのだと思う。
仏教は哲学だ。それも机上でない、地上の学問だ。生きるための、日常で生かされる仕方の。ぼくには、ニーチェ、キルケゴールとも被る。
〈これを読んでいる途中で自分のするべきことに気づいたら、もう読むのなんかやめてほしい〉と言ったキルケゴール。
「ツァラトゥストラ」で「人間を超えていく人間」を描いたニーチェ。
それはおそらく、可能なことなのだ…
戦争がなくなる世界、こうすればいいのだ、とセリーヌは具体的に彼独特のリズムで言っている。「原子爆弾や戦車がなくなったって、憎しみがあるんならおんなじことだ」
また学校教育について、あんなに批判的だったとは…。学校を根本から変えることも書いていた。(苦境」)
しかしブッダとセリーヌ。偏った読書嗜好。仕方ない、好きなんだから…。