「Note」をかじってみた。最初は何でも面白い。設定の仕方、写真選び、ここに投稿するに相応な今まで書いた記事を選んだり。
「いいね」がここでは「スキ」だった。直接的だなぁ。サイト自体がお洒落な形で、目ざわりがいい。扱い易く、これはウケるなぁと思った。登録者は580万人とか。
始めて一週間、「スキ」が来るのはほぼ「自分の所に来てほしい」(お前の記事など読んでない)ためのもので、フォローが来るのは「してやったからこっちにもフォローしろ」のように見える。
ネット社会、どこでも同じだなぁという印象は拭えない。
それでも直感的に面白そうな記事だなと思い、その記事は読みます、という方からはコメントを頂く。いいねの1秒タッチでなく、それなりの時間をかけて送られる言葉がありがたい。
はてなブログでもそういう方と知り合い、こちらが更新すればいいねが来て、あちらが更新すればいいねを送り、気になる記事だったらコメントをし、逆の場合はコメントをされる。しばらく更新をしなければその間は没交渉となる。
面白いのは、その人となりが、公開されている記事全体からチャンと知れる気がすることだ。これも、どのサイトでも変わらない。「役に立つ」情報の提供者が多いのも変わらない。人間関係の悩み、食事のこと、「こうすればいいですよ!」の how-to モノ。本・読書のジャンルでも、役に立つということが主眼に置かれているように見える。
Noteにはチップ(投げ銭)設定が付いていて、読者が良いと思った記事にはお金が送れる。YouTubeでも何万円というスパチャを投げる人がいるぐらいだから、お金持ちに気に入られたらメッケモンである。
よく出来ているなぁと思う。
サイトの充実に対し、自分は充実していないなぁと思う。やたら時間が掛かってしまう。投稿したい記事をよく見直せば納得できない。誤字脱字すらある。何が言いたいのか分からない文章には、共感を求める甘ったるささえある。こんなんじゃダメだとなる。
が、最もダメと思えるのはサイトに投稿する自分だ。人に読んでもらいたいから投稿する。どこぞの文学賞に応募する動機とさして変わらない。そこには「他者の目依存」がある。SNSならその依存にフィードバックへの期待も手伝う。誰が下読みをするのか知れぬ賞より、実際に読んだ人の感想も貰える。
いいことずくめに思えるが、現実はそう甘くない。ほんとうにに読まれているのか分からないのだ。そしてほんとうに読まれているかどうか分からない「いいね」や「PV」に期待する。そのために書く、見直す、時間を費やす── あっという間に時間が過ぎる。
何をしていたんだ自分は、となる。好ましい反応があっても、それは刹那だ。自分にほんとうに向き合っていない。逃げている、誤魔化している、そんな気になる、今ここに書いていることにしてもだ。