昨夜は何事もなく、朝に。六時、自然に目覚め。よく眠れた、居間と続き間になっている八畳の和室で。ここにも襖があって(ここは襖というより木目の引き戸が三枚、居間との仕切り役の)ちと怖かったが。昨日家人から電話があって、メールで恐怖体験を報告していたから「こんにちは~」と低い声でこっちをビビらせるように言ってきた…「お姉さんに話したら『可愛い 』って言ってたよ」と笑う… ひとりで留守番する初老の男がオバケにビビッてるのを。
やっぱシンジラレナインダナ、「いやこれは体験しないとわからないよ」「うん、全然わかんない」と笑われる。だってわたしがいる時、そんなことなかったんでしょ?… あっち(オバケ?)も何か感じてんだよ、本能で動いて、本能というか残ってるものしかないものだけど、きっと「こいつにはわかってもらえる」「わかってほしい」そんな思いが働いてるんだと思う、もう一人のいつもいる人(家人)がいないから、今伝えたいって想念だけで俺に伝えようと動いてるんだと思う、何を伝えたいのか本人もわかっていないみたいだけど── と、きっとまた相手にわからないことを自分が言う。
全然わからん、とまた笑われる。こっちも仕方なく笑う。いやほんとにあのガリガリ、襖を開けようとしてた動き、手だったよ、指と爪で… ほんとにはっきり聞こえた、思い出すと背筋が寒くなる… 足音もしっかり聞こえた、あれは家鳴りでも何でもなくて、生きてる動く物の音だった、あの音はほんとにわからない、と仕方なくまた同じことを繰り返し言う。
いやほんとに体験しないとわからないことがあるんだなと、まじまじと思った。こんなのここに書いたところで、いよいよ頭がおかしくなったかと思われかねない、読む人がいればの話だが。
前も書いたけどオーストラリアに行ってた友達が「こっちのユーレイ昼間から音立てやがるんスよ」… その借りてた家は近所でそういう噂のあった家であることを彼は後で知ったという。
ここ奈良にあるこの家は、特にそういうのでもなさそうだ。十年以上住んで、ひとりで留守番した夜も何回かあったが、あんなのは初めてだった。とにかくあの「ガリガリ」は恐怖のドン底に陥れた… でもこれも忘れてく、忘れることは完全にはないにしても、表面を歩くアメンボみたいに薄く、薄い表層、層にもならないものとして、それだけのものになっていく。既にそうなりつつあるのがわかってる。
しかしほんとに体験しないとわからない、けっしてわかり得ないものがある!