確かに理想というのは、現実離れしているであろう。
理想というのは、内面に属するものだ。
内面性に、ほんとうがある。
理想は、いわば完璧な、絶対的な、個人の内面のものである。
だから理想であるのだ、理想は完全であり、だから現実から離れているものである。
そこにほんとうがある、個々人にほんとうがある。そこで諍いも生まれるだろう、他者と自己の── 一人に一つのほんとうである以上、どんな仔細に両者を見つめても、確認しようとしても、調べれば調べるほど「違い」が浮き彫りになって、同一であることはあり得ないことを確認する。
理想は、一人に限られた絶対世界である。そうして当人は、現実にここに存在している。だが理想はここではない、ここにはあるが、ここに存在はしない。どこまでも彼の内面である。
彼はこことここでない、二つのここの中に存在している。それが彼という存在なのだ。
人間ってのは、きっといつもこうだ。
個を超えることはない。存在する個であり、存在する個の中の個であり続けるのだ。この二つ、彼、彼、彼という世界が、犇めいてできているのがこの世の人間の世界だ。
突き詰めていくべきは、まわりへの研究、関心、拘泥ではない。まわりへの興味は自己への興味であり、研究対象は自己であり、拘泥するはまわりでなく自己である。