家の前を飛び始めた。ホタル・ファンの家人は毎晩土手から「蛍の光」を見に行く。
特に関心のなかった自分も昨夜ひとりで見た。玄関から、桜の木(土手のですね)の葉っぱにとまってちらちらほのめく二匹のホタルが見えて、土手の向こうの川の上に落ちていく光もあった。
何とも幻想的、非現実な光の揺蕩い。これは人工的につくれない。ふわふわ、彼らの生命、自分でもどうして飛んでいるのか解らず、どこへ行くのか、これからどうするのかも解らない。気ままといえば気ままだが、その気さえ無い。そのまま以上も以下も無く、無心に飛んでいるように見える。勝手にこちらは慰められる。
一昨年まで誰も見物に来なかったが、去年あたりから人がちらほら見に来るようになった。自分の家の前がいちばんホタルが集中するらしく、夜の八時位には大きな笑い声、話し声が聞こえるようになった。静寂は破られるけれど、ホタルはそんなこと意に介さない。こちらも見習って、ヒトの声もカエルやセミの鳴き声と同じように受け止めたい。(でも同族の人間として見てしまうと、常識とかが顔を出す。一応、住宅街なのだ、ほんとに静かな)
今奈良では国立博物館で「超国宝展」をやっていて、かなり評判がいいらしい。法隆寺やら薬師寺やらにいつもは鎮座する仏像だかが、かなりの人数(?)、一同に集まっているらしい。
15日まで開催とか。行ってみたいが、並んだりするのはイヤだなぁ。16日からまた東京に行くから、あまりお金も使いたくない。
昨日は土手の、伸びた雑草刈り、庭の、やはり伸びたツツジの剪定をした。今日は腰が痛くなるかと構えたが、意外に何ともない。今年、私は何歳だっけ? よく忘れる。いいことかもしれない。
よく本を読み(キルケゴール)、何か目立つようになってきた床のホコリなんかをウェットティッシュで雑巾がけめいたことをする。掃除機もチャンとかけたりする。モーツァルトは「ドン・ジョヴァンニ」ばかり聴いている。BGM。39番も。
紫陽花も綺麗に咲いて。丸のやつより、額アジサイがいい。あの青紫は、紫陽花にしか出せないわざだ。本人は、知ったこっちゃない。ただ季節が、時機が来たから咲いている。
今日は雨。雨の夜は鹿たちも川に来ない。小さな川に、数頭の鹿たち、その周辺をホタルがふわふわ飛び交い。おたがい、無関心そうだ。それぞれに、自分の命、済ましてる。
今年もまた暑い夏が来るんだろうが、じき秋に、冬になるんだろう。先のことは先のこと。今から、何も憂う必要はなし。憂いたきゃ憂うがいい。笑いたきゃ笑い、泣きたきゃ泣け。