本に対して

 椎名麟三全集の15巻をもうすぐ読み終える。何回も読んでいるから、何回目かの読み終えになる。
 クリスチャンになってからの椎名麟三は、文体も変わり、ぼくの宗教アレルギーもあって、どうも受けつけにくかった。が、今はそれもなくなった。

 全集では、教会での講演録や、教会の機関紙への寄稿文が読むことができる、そのありがたさをしみじみ実感する。
 椎名麟三は、クリスチャンになることによって、多くの文を書けた。それを読むことができるのは、ほんとうにありがたいと思う。

 本から眼を離せば、現実のこの部屋が見える。
 自分が、この世界は灰色だ、とみる時、世界は本当に灰色に見える。この世界はバラ色だ、とみる時、その目に見える世界もまるでバラ色になってしまう。

 そうさせているのは自分の心持ちだ。心持ち次第で、この世界は灰色にもバラ色にもなる。
 しかし、その心を持たせるものは、その心を持つ自分とは、さらにその心を通して見る目を持つ自分とは、というふうに思索は連なっていく。

「そんなことを考えても、仕方ない。」 一種の殺し文句である。
 しかし、その仕方のない考えは、自分の人生観、世界観、だから生き方といったものをつくる、大いなる土台となっている。

 無意識有意識に拘らず、その土台は、まるで生まれてくる以前から、人間に持たされているものであるようなのだった。
 それを「考えても仕方のない」こととして済ますのは、人間であることを放棄することのように思える。
 どうしたって、放棄なんか、根本のところで出来るわけもないのだが。

 椎名麟三の、ぼくはファンだから基本的に共感をもって読んできたが、何回も読んでいると、あえて反感をもって読んでみようという気になる。
 すると、同じ文章であるのに、まったく違った入り方を自分の中にして来るのを感じる。
 そして「それもあなたの自由なのだ」と、ぼくはこの戦後作家に、本の向こう側から微笑まれてしまう心地になるのだった。