ニーチェは発狂したそうだけれども、その精神病院と思える病室のベッドの上で上体を起こし、そして窓辺から見える夕陽へ見射るその姿は、本で見たことがある。
ツァラトゥストラも、この人を見よも、読んだことはないけれど(途中で挫折した)、その挿絵のようにあった姿は、強くぼくの中に入り込んだ。れいによって、こどもの頃に見た挿絵である。
その挿絵の下には、<夕日を見入るニーチェ>と書いてあった。
ぼくはよく夕日を見ると、その挿絵のニーチェの姿を思い出す。
そして狂気ではないと思うけれども、いたたまれぬ焦燥に、よく駆られる。
今日も夕暮れがあった。
しかし夕暮れ、その陽の沈む方向と対極の方向へ向かって、ぼくは歩いていた。
たまたまだ。
空を見たら、月があった。
まだ青い空の上に、薄い月がぽっかり浮かんで、居た。
ああ、月だと思った。
ホッとした。
胸が、まるく、洗われる心地がした。
こんな明るいうちから居るんだ、と思った。
病室の窓が、東に向いていたら、ニーチェは何を見入っていたろう。
また、違った、挿絵になっていたろう。
と、運命に抗えない「 if 」 を少しだけ想像した。