モンテーニュ

 ミシェル・ド・モンテーニュは大貴族だった。
 赤ん坊の頃は、「穏やかな目覚めは教育に良い」という理由から、父が数人の演奏者を雇い、毎朝モンテーニュの眠るゆりかごへ音楽を奏でさせた。
 祖父の代から、その財を築き上げたらしい。
 父はボルドー市長となり、モンテーニュも裁判官を経て、のちに市長になっている。
 やはり貴族社会の繋がりから、相応の相手と結婚。持参金も、膨大なものだった。

 社会的には、すべてが順調満帆というふうだったが、まだ40にもならないのにモンテーニュはさっさと公的労働を辞め、自室にこもり始めてしまった。
 父が死に、莫大な遺産と土地を相続したことが大きいだろうけれど、モンテーニュは「もう政治家なんてこりごりだ」と云っているし、裁判官も、イヤな仕事であったろうことが想像される。
 とにかく、かれはもう労働をあきらめてしまった。

 かれは、何か書こうと思った。
 だが、「わたしには知識も学問もない」。
 で、「自分のことを書くしかなかった」。
 これが、のちの世界の名著となる「エセー」を書き始めた、おおよそのあらましだ。

「わたしはレタスとキャベツの区別もできないし、わが国でどんな紙幣が使われているのかも知らない。パンがどうやってパンになるのかも、打ち明ければ、つい最近知った」
 と、自分が無知であることを大えばりで書いている。

 哲学書が好きだったらしく、やたらとその短い引用文も「エセー」に書いている。
 だが、モンテーニュに云わせれば「自分の言いたいことの補足として。これ以上に、自分の言いたいことを描写している言葉を知らないから」という。
「エセー」全体をみれば、モンテーニュの文は分かり難い。

 小カトーがどうしたの、アレキサンドロスはこうだったの、エパミンノンダスが、カエサルが、と歴史上の人物の逸話説話を事細かに書いたりする。
 頭の悪いぼくには、「で、何が云いたいんだろう」と、読んでがっかりすることもある。
「自分を調べること」を終生の仕事としたモンテーニュは、自分を観察する上で書かざるを得ないことだったのだろうけれど…

 それでも、我慢強く読んでいれば、笑える箇所にも突き当たる。
 その時、すでにモンテーニュが、ぼくの中に、大きな、ゆるい、近所の酒屋のおじさんのように身近な存在として居ることが感じられる。
 モンテーニュの書き方、進め方は、最初に「~について」ということから始まるけれど、その章を読み終われば、はて、何についての文章だったっけ、となることが多い。
 
 これもぼくの頭の悪さなのだろうけど、モンテーニュはこうも云っている、
「主題から外れていくことは、その筆者の自然であって、それに抗わぬほうがいい。プラトンにしても、そのような流れの文面が、あの詩的な美しさを放っているのだし、  プルタルコスには主題について触れるのは一行だけで、あとはぜんぶ沿わないことを延々と書いているものもある。それが、あれほどの力をもって、われわれの胸を打つ」
 などと。

 そしてモンテーニュ自身、そのような「主題」や、学問的な「研究」からの定義づけから書いていくことを、意識的に、あるいは生理的に避けていた。
「わたしはさまよう。しかし、わざとさまよっている」
「そもそも人間は一ヵ所に留まるものではない」
「主題から外れたとしても、それはわたしのせいではない。(その主題について書いたわたしの文から)主題を見つけられない読者のせいだ」
 と言い放つ。

 ひとつのテーマにこだわって、論理化し、だから何々である、という格式張った哲学的なものを、後年のモンテーニュは嫌った。
 人間は、そんな枠組みにハメられるものではない。
「わたし」はこのように流動している── 「わたし」を人体標本として、そのありさまを読者にお見せする。
 これほど「人間研究」をした著作は、今までなかったろう。
 さぁ、見てごらん、とモンテーニュは言う。
「もし読者が、私の書いたものの真意を誤解したならば、わたしはあの世から舞い戻って、その読者に訂正するだろう」とも言う。

「わたしは、何も知らない」
「わたしは判断を中止する」
「無知、無好奇は、なんと心地よい枕だろう」…
 モンテーニュが「エセー」を書き始めたのは、単なる大金持ちの道楽であったかもしれない。
 うつ病だったとか、大嘘つきだったとかという説もあるが、そんなことはどうでもいい。
 ぼくにはただ、モンテーニュがいてくれることが、嬉しく、ありがたい。