セネカ「生の短さについて」

 モンテーニュが「エセー」の中でよく引用していたセネカ。
 とりたてて、面白いというわけではない。孔子の「論語」のように、当たり前のことが当たり前のように書かれている、という印象。
 そして読み易いとは言えない。どっぷり浸れるようには読めない。

 ただ、昔々の賢者の書ということで、芯らしきものは感じられ、くどく、まどろっこしい物言いに我慢を強いられながら読むことになった。
 西洋の本、まして哲学書となると、どうも馴染めない感がある。言語、文法の、東洋との違いが根柢にあると思われる。ただ、やはり芯、これを感じるために読んでいる。

 セネカは、かの暴君ネロの子ども時代の教育係だった。よき師に恵まれることは人生の幸福のひとつとされるが、ネロにとってどうだったのだろう?
 モンテーニュは「教育で、個人の本質的なところは変えられない」と云っている。生来の残虐性は、更正できなかったということか。

 しかし… セネカ、もうちょっと何とかできなかったか、と想像せざるを得ない。ネロの残酷な性質は、セネカも気づいていたはずだ。
 お上品な、とってつけたような「正しさ」、論理、人間としての生き方のようなものを理論武装して説くが如きセネカに、ネロは終始いらいらしながら、仕方なく聞いていたのではないだろうか。

 ネロという人間をつくる、その孤独、乾いた欲求にまで、セネカの「教育」は届かなかった… ムリだったのだろうか。
 もしソクラテスだったら違っていただろう、などと想っても、どうしようもない。

 もし、と、想像してしまうのは、もしネロが山や川、「自然」な中で育ち、大声をあげられ、衣服を泥だらけにして遊べる幼年時代を過ごし、教育係などという師をあてがわられることなく、ガキ大将のようにしていたら…また違ったネロになっていたように思えるのだが。
 いや、もう、しょうがない。

 ただ感じるのは、セネカ、もう少し融通を利かせても、よかったんじゃないか、ということ。
 その文体(芯のようなものを感じようとして読んでいる文体の中に)、また、その銅像の表情から、ちょっとガンコ過ぎたんじゃないか、と思わざるを得ない。

 あまりに言葉にこだわりすぎて、表側に固執しすぎたんじゃないか… その表をつくるセネカ本体に、ネロはいちばん、ぎらぎらした目を注いでいたんじゃないか…
 結局、セネカは成長したネロに自殺を命じられ、要するに殺されてしまった。かつて自分が教育した子どもの心に、セネカはそのとき何を思っただろう。