戦乱時代に、さまざまな思想が起こった中で、あまりといえばあまりな考えを示したのが、老子と荘子だ。
このふたりは、その戦国乱世をどうにかしようという発想を、全く持たなかった。
彼らは言った、「何もしないのがいい。何とかしようなどとするから、乱れるのだ。人間は自然の一部でしかない。何もせず、自然に任せればいいんだよ」
「人為(ものごとに対する計らい、画策、計略)を施そうとすることをが、そもそも諸悪の根源なのだ」
しかし、この老子を祖とする「道家」は、「世に出ない」隠者であることを目的のようにして生きた人たちで、その生活形態、どのような人物であったのかは、ほとんど知られていない。
老子に至っては、「ほんとうに実在したのか?」と疑われるほどで、だが「世界の名著」の「老子・荘子」の付録対談によれば、ほんとうに実在し、「老子」という書物はひとりの「老子」という人間による著作である、という見方が妥当だろうということを湯川秀樹が述べている。
世の乱れ果てた時代に、老子が存在していたとして、「どうにかしたい現実を、どうもしないがヨシ」とする主張は、ほとんど常軌を逸した考え方である。
しかし、そこに老子の巨大さがある。かれは、「今」の惨状だけに捕らわれなかったのだ。
何が老子にそう言わせたのか。老子は、永遠と循環、ものの生起と消滅、繰り返す永遠の景色を可視する、そんな性質、感性が、生来備わっていた人のように思える。
現実といえば、「今」だろう。「今、何が起こっているか」が現実で、今起きていることが現実だろう。でも老子には、それだけが現実ではなかった。
この後にはこういう世界が訪れ、その後にはこういう世界が訪れ、と、彼の目の中には世界が、広大な川の流れのように「見えていた」のではなかったか。それが老子にとっての「現実」だったように思う。
老子は、中国大陸の一隅に、政治の管理の手が届かない土地で、平和に暮らす人々の姿を見たという。これは客観的なホントウの現実らしく、「政治は何もしなくても、 人間は平和に生きられる」ことを実地で学んだという。
「何もしないで自然に任せる」主張は、何の根拠もない理想論ではなかった。そして孔子の形式主義への反発も、その主張の語気を強めるに、大きく加担していたようだ。
老子については、私はよく分からない。読んでも、さっぱり分からなかった。
前述の湯川秀樹と対談した研究者、「老子」の翻訳家は、「物事を、ハッキリ言わないこと。それが、どうとでも解釈できる包容力をもって、これだけ世界に広まったのでしょう」というようなことを言っている。
包容力、見えない力が、老子に働いて、その力のままに彼は言葉を発し、その言葉がまた周りを包容していく、永遠のタマネギのような宇宙の形状をとって、老子は伝説のような存在になったように思う。
老子の中心には、常に「自然」がある。神や権力は存在せず、あるのは自然、その摂理、法則。
それが世界をつくり、万物を動かすのであって、その自然を疑わず信用するということ─── 老子は、かれ自身の「生き方」そのものが、著作であったように思う。