演説を聞きたくて、本を読んでいるわけではない。
自分が経験していないような経験を、本を通じてしてみたい、という願望もない。
基本は、共感だった。
で、しかし、ただ共感するだけでは満たされないのが、私の欲望だった。
その、自分が共感する相手が、それからどういうふうになっていくのか、つまり「どう、この人は、その自己を言葉にまとめるのか?」というところに、重点を置きたい、関心があって、そこが気に入らないと、その本自体もダメという、まったく、「お前がほんとにダメなんだよ」と自分で自分に言いたくなる、そういう人間が私だ。
「読書は、その著者と、人生を共有できる、貴重な経験になります。どうぞ、本を読んで下さい。」
そう云ったのは、私の兄だった。
私は、兄が好きだった。で、兄の云うことなら、と思い、兄を求めるように、本を読み始めた。
それが、私の「読書はじめ」だったと思う。
しかし、欲望、こいつなんだよ。貴重な経験も、自分はひとりではないと思えて気持ちがぬくもる共感も、欲望が、押し潰す。
この欲望、このほとんど性欲を、どうにかしないと。
一体、どうしたら、私は。
といって、またそういう答を求めるべく、本に言葉を漁るのか。
一種の悪循環、砂漠にタマゴ、宇宙に限界。
仏門にでも入るか。
ムリだな。
では?