さて、このブログの自己紹介欄に書いてある「工場仕事」、つまり私の勤め先は、かのT自動車の工場である。
ここに勤め始めたのが1998年だから、もう7年目になる。
なんとなく失業していて、文筆で生計を立てようと無謀な志もあっけなく霧散し、妻子を養う「男」としてのムダなプライドめいたものに自分で自分を追い詰め、ほとんど家出のような形で、この企業に出稼ぎに出たのが、きっかけだった。
現実面でのきっかけは、「フロム・エー」である。
「期間従業員募集」。裏表紙に、カラー広告でデカデカと求人募集をしていた。
そのフロム・エーには、派遣社員として、滋賀県あたりの(ダイ○ツだったと思う)自動車工場に出稼ぎに行くテも見つけたが、面接に行ってウサン臭そうだったのでやめた。
やはり「直」に雇われるほうが良い。
で、私の期間従業員としての7年が始まったのだ。
もちろん期間契約なので、最初は6ヵ月。生産情況の好不調で、その6ヵ月で切られることもあるし、「延長」という形で最長11ヵ月まで勤め続けることもできる。
すると、「契約満了慰労金」として、手取りで60万位のお金が、最終賃金と一緒に口座に振り込まれる。
そして満了後、1ヵ月たてば、また新しく契約して、期間従業員としてまたTで働くことができる。
そこで「経験者」として2回目がカウントされ、日当が9000円から9300円(9500円だったかな)にアップし、また6ヵ月以上勤めて満了すれば、こんどTに来たときは「経験3回目」がカウントされ、日当が9800円になる。
それ以上は、日当に関しては何回勤めてもアップはしない。
さて、私には、この期間従業員という制度が、非常にありがたいのである。
あと何ヵ月勤めれば、辞められる!
こう思えることは、通常の「正社員」では、思えないことだった。
私は、クルマなんかをつくるために生まれたわけでも、生きているわけでもない。
といって、何のために生きているのかといえば、たいしたことのために生きているのではない。
このような、ハンパ者にとって、非常にありがたい雇用形態なのである。
企業にとっても、いつでも、いや、契約期間内はクビは切れないが、契約期間が終わる頃に生産情況が芳しくなければ、すぐに捨てることのできる、都合のいい歯車なのだ。
とりあえず私は7年、このような立場を繰り返し、日々の暮らしを成り立たせてきた。
そこで学んだこと。正確にいえば、親しくなった正社員たちから教わったことを書きたいのである。
ことわって置くが、彼らとは、「同じ会社に勤める」という接点をなくしても、友達としてつきあっていける、私がT自動車に勤め続めてできた、数少ない友人たちから、私がかってに学びとったものである。
1)「自分のことだけ考えればいい。」
これは労働の基本である。人間関係をするために働くのではない。自分のために、ハタラクのだ。
たとえば休憩所で、誰ともコミュニケーションなんかとらず、ピコピコ携帯電話でメールしていても、まったくいいのだ。
寝てても、マンガを読んでても、まったくいいのだ。
2)「仕事は二の次、プライベート優先。」
─── こんな仕事、ガタイが良ければ小学生でもできますからねぇ。
10年、正社員で勤めて、オーストラリアへ飛んでいった友達の言葉。
そんなに、額に汗してシンケンに働くほどのものでもない。
そんなに、ガンバルほどの仕事ではない。これはTに限ったことではないだろう。
労働は、あくまでカネ稼ぎ。プライベートを充実させることが、何より第一なのだ。
3)… これがいちばん自分のためになったのだが、この7年の間に、2回ほど、「正社員登用試験」なるものを受けたのだ。
一応、まじめには働いているつもりなので、上司も私のことを良く見ていたのだと思う。そして結果は、もちろん落ちたのだ。
だがこの落ちたということが、強がりではなく、ありがたかったのだ。
詳細は、次回に記そう。
しばらく、このブログをやすんでいた。
現実逃避をしていた。
なかなか、いいものである、現実逃避。
どこから逃げたのか分かんないけど。
(2005年、夏頃、記)