その日の遺言

 どうも、ありがとうございました。
 この一言、誰に向けてか、いや、特に誰かというわけでなく、この世に存在するあらゆるもの、また、この世、あの世、引いては宇宙、万物をつくった何ものか、何か、宇宙を創造した何ものかに、言いたいという話です。

 どうも、ありがとうございました。
 何とも、佳き言葉です。自然、心、落ち着く気がします。この一言で、もう、この文、終わっていいのではないかと思われます。
 恨みます、とか、畜生、あの時は、とか、言ったって、ねえ。

 ところで、この頃の問題は、精神的なものでなく、肉体で、この身体、痛苦の真っ最中に、ありがとうございました、が、言えるだろうか。
 この疑念が、ふつふつ湧いてきたわけです。

 人間、皆、くるしみの前には、ひとしく無力、ただならぬ苦痛には、とにかく無力、どうにもならぬ運命の杭、これでもかこれでもかと我が身に打ち込まれる思い、死ぬる思いに身悶えし、ただ、耐える以外、術がない。

 肉体の苦しみも、精神のそれも、同じなんだな、と思いました。
 自分の心身なのに、どうすることもできないのです。
 また、確かに、ああ苦しみは、生きていることに、あるんだなぁと思いました。
 死んでしまえば、もう、苦しむことも、ないんですからね。

 つまるところ、何ということも、ないのです。
 時間が過ぎて、自然に、痛苦、この身から遠ざかれば、けろりとして、きっと、すぐ忘れます。

 せいぜい、残されたいのち、使わせて頂くしかないと思います。
 あわよくば、楽しく、過ごせたら、万々歳、といったところです。

 だいたい、できることしか、できなかったです。それは、これからも変わりありません。
 いつ、あの世に行くか分からぬ身、それだけは心底、分かっていたいことです。

 さしあたり、こんなものをここに記して、やれやれ、これで思い残すことはない、と、今の自分を、残したのだ、と、今だけをみつめて大満足のてい、これから湯にでも入って、一日の労苦、水に流して、静かに眠りたいと思います。

 あ、でもこれだけは、やっぱり必需の言葉。
「どうもありがとうございました。」