猫と話す

 家のドアを開けると、ダンボール製の爪とぎをバリバリやる音が聞こえる。
 猫が爪を研いでいる音。
 猫は、僕がマンションの4階にある自宅への階段を昇っている時に、すでに主人の帰宅を察知しているようである。

 ドアを閉めようとすると、猫は玄関マットにゴロリとなって、あごをしゃくる。
「ここを撫でて」と言っている。(と思う。)
 撫でながら、僕は「ただいま」と言う。
 そして撫でながら、「いい子だった?ただいまー。」と、また言う。
 猫は無言だが、「ブーコブーコ」と喉を鳴らす。
 この間、約4、5秒。

 まもなく猫は起き上がると、キッチンへ行く。僕はうがいをして靴下を脱ぐ。
 猫はキッチンのテーブルに飛び乗って、お座りして僕を見ている。
「ブーコブーコ」と喉を鳴らしながら。
「いい子だった~?」と、僕はまた撫でながら言う。
「いい子だよなー、フクは。」

 風呂を沸かし、湯船に浸かると、猫は風呂釜の上へ乗ってくる。
 で、またおすわりをして僕をじーっと見ている。
「元気?フク。元気かなー?今日はいい日だった?」
 僕はやはり猫に言う。
「元気でいてくれてありがとうね。ありがたいよ。ねぇ、フク。」
 猫は、じっと僕を見続けている。

「なぁ、フク、幸せか?お前が幸せだったらいいんだけど。」
「しゃべれないからなぁ、お前は。こっちが感じるしかないんだよな。」
 猫は、やはりじっと僕を見つめているだけである。

 そして僕が風呂から上がると、猫も風呂場から出てくる。
「人間界も大変だよ。よく分からない。でも、お前も大変だよなぁ、フク。」

 ご飯をあげて、僕は焼酎のライム割りをつくってパソコンのスイッチを入れる。
 猫は、パソコンに向かう僕の後ろの椅子で丸くなって寝ている。

 朝になると、家人が起き、僕は交代するように彼女の布団に潜り込む。
 猫はひとりで運動会を始める。ばたばたばたばた、と2DKの部屋中を走り回る足音が聞こえる。

 昼前に僕が起きると、猫は炬燵の中で丸くなって寝ている。
 炬燵布団をあげて、「フク、おはよう」と声をかける。
 猫は無言で眠り続けている。

 銀行勤めの家人が、昼休憩の時間に家に戻ってくる。
 彼女は林檎をかじり、チーズを食べ、コーヒーを飲んでいる。
 猫は炬燵から出て、おすわりをして僕と彼女を見ている。
「笑っていいとも」をなんとなく見ながら、猫は昨夜おとなしかったか、彼女はよく眠れたか、といった話をする。

 彼女が再び出勤し、僕も出勤間近になる。2、30分、オモチャで猫と一緒に遊ぶ。
「じゃ、行ってくるね。」
 僕がそう言うと、猫は「ニャ」と言って炬燵へ潜り込む。

 猫を飼うのが初めてだが、猫とこんなに話をする自分がいるとは思わなかった。
 一緒に暮らしていると、話をするようになるものであるらしい。人間であれ、動物であれ。

 とにかくフクくん。きみは、いい猫だよ。
 生まれてきてくれて、ありがとうね。うちに来てくれて、ありがとうね。