親しい友人のこと

 ぼくの親しい友人。
「親しい友人」とは、たとえば何年も会わなかったり連絡をとらなかったりしても、まるで昨日会って話したように話せる人である。

 Kさんはぼくが17のとき大検の予備校に通っていた時の先生で、今もたまーにメールし合い、東京で会いもする。
「かめ君とは、予備校じゃなくて、違う所でも必ず出会っていたと思う。まさに運命的な出会いですね。」
 そんなメールをもらったりすると、嬉しい。

 M君とは、ぼくが会社を出社拒否していた頃、彼も会社に行っておらず、ふたりでよく「なんでこんな自分なんだろうね…」と精神的に肩を寄せ合うように確認しあっていた。
「会社に行かないと生きて行けない」と思っていたぼくにとって、M君の存在はほんとうにありがたかった。

 S君は、障害者のかたを企業に紹介して働かせてもらうよう取り計らう仕事をしている。
 ほとんど公務員のようなもので、唯一、カタギの仕事をしている友人である。

「どんなにかめ君が悪いことをしたとしても、僕はかめ君の友達だから。」
 ひとりぽっちで福生の4畳半のアパートにいたぼくに、そんな年賀状をくれた。

 恋人っぽいひとはいたけれど、そういう関係のひとよりもこのS君の言葉にぼくは救われた思いがする。

 Tさんも予備校講師だが、いざという時に必ず現われてくれる。
 今勤めている会社を出社拒否しそうになった時、ぼくは電話をした。
「オレ、我慢する訓練を受けてこなかった…」と話していたら、泣けてきた。

 Tさんが電話代を気遣って、かけ直してくれた後も、相槌を打ちながらぼくの話を熱心に聞いてくれた。
 母が認知症になった時も、「私の友人に介護の仕事をしている人がいるので、話をしてみようか」と云ってくれたりした。

 ここで話を突然変える。
 この20年来のつきあいになる親しい友人たちは、みな男である。
 なぜ女ではないのか?

「女と男は理解し合えない」「ぼくにすけべ心があるから」等、見方はいろいろありそうだけど、女の人とぼくは基本的に「現実に一緒に歩いていく」スタンスをもって接してきたからだと思う。ぼくが悪いのだ。

 だが女の人と親しくなってしまうと、「離れていても大丈夫」ではないような気がするのも事実なのだ。
 何年も音信不通だったら、ほんとにそのまま終わってしまいそうな気がしてしまう。

 もちろん個人差があっていろんな女の人がいるわけだから、女/男とヒトククリにしたくないけれど、女の人とも20年位の親しい友達関係を築けたらと思う。