悪を裁くな!
東京大学の受験会場前で、受験生が刺傷される。犯人は17歳。
彼は、報道によれば、医者になれないのなら人を殺して、自分も死のうと思っていたらしい。
この事件に対して、人は立派な傍観者になる。
同じ「人」が、「人」を刺傷したというのに、それを人は他人事のように見る。
せいぜい、被害者への同情、犯人への憤り、そのていどの感情で。
今後への心配、我が子が外に出る際の心配、物騒な社会になった、せいぜいそのていどの鬱屈で。
たいていの人間は、こういう酷い事件を自分のこととして捉えない。
自分も、このような被害者・加害者をつくった社会、この社会に加担した一員だと考えない。
加害者の、むしろ共犯者に等しい、となど、つゆほども思わない。
彼はそういう人間だった、家庭環境に原因が、とか、教育が、とか、鬼だ畜生だとか、事件を起こす犯人と「自分たちは違う」と多くの人間が一線を引く。
何かのせいにする。我が事として、捉えない。
こういう「他人事のスタンス」をもつ人間が、まことに恐ろしい社会をつくる人間のすがたではないかと思う。
受験を、「人生の分岐点」などと表現する記事もある。
軽薄なメディアの下劣な見出し!
自分のしてきた勉強の成果を「試す」ことが試験の意義である。
合否によって人生が決定されるのは、先人たちが学歴を重んじる社会をつくってきた、偏重社会の犠牲にすぎない。
学ぶ楽しさより、点数を取ること、一流だの二流だのという「定義の中に自分が入ること」、それによって就職先も社会的地位も変わってしまう──
こんなバカげた分岐点をつくり、後生大事に施工を重ねた古い路線は破壊せよ。
壊せ、壊せ、爆破せよ。
学問、そして個人、人生が、のろまな一般価値観の犠牲になってはならない!
我々がこの社会をつくってきたという自覚を持つ者は少ない。
政治家が、権力者が、「下々でない」先人たちがつくってきたもので、ぼくらはこのシステム下でやって行くしかないんですよ── 愚民が言う。
あきらめ、と呼ぶにも及ばない。
囲われた養豚場で養われる食用豚。かれらは喰われるために生きている、自分を生かす術さえ知らずに!
悪を裁くな、悪は、善へのはしりである。
一般愚民が安住する「常人のブタ箱」を破壊するものである。
悪なくして成り立たぬ、虚弱な善を諫める鉄髄である。
悪を裁くな。
なぜ悪人を生ませる世界を我々がつくってきたのか──
おのれが善としてきた価値観、尺度をよく、よく鑑みよ、自省せよ、吐くほどに見つめよ。
社会に殺されるな。
そして── 死刑制度を廃止せよ。
なぜ我々がそのような人間をつくったのか。
われわれのこととして捉えよ、その発露、顕現者に目を見張れ。
死刑執行者に悪を任せるな──
権力者に抹消させるな、悪なくして善も立てられぬ、惰性の豚、家畜の群れよ。
社会は創造される。
われわれ一人一人によって、創造される。
子どもを殺された母親の言葉を、わたしは知っている。
彼女はこう言った、
「私の愛する子どもを殺した犯人は、もちろん憎いです。
でも、これは、彼という人間を産み出した私たち社会の問題です。
自分のこの感情と、社会は、別々の問題として考えています」
(2022.1.18.)