くしゃみをする。
ああ、誰かが、ぼくのことを考えてくれている、とおもう。
現実に噂をされるのではなくて、誰かが、ぼくのことを考えてくれる、その波長というか波動というか、そういう何かが自分の中に、何を経由してか感じられて、その感じと感じが一致するとき、そこに端を発して、そのために出る、くしゃみ、というのがある。
これは、そういう類いのくしゃみをした人間の、そういう類いのくしゃみをした人間にしかわからないような、そういう類いのくしゃみなのだと思う。
寒くもない。鼻毛が伸びてるわけでもない。風が、開け放した網戸の窓から吹いたのでもない。
そういう現実的な存在的な、物理的なものに、根拠を置かない類いの、くしゃみなのだ。
ふっと、自分は何をしているのか、と愕然と、呆然と、慄然とする。
胸の動悸が激しくなって、自分の身体が、自分の精神と、とことん遠くへ遠くへ乖離し尽くさない限り、ぼくはどこにいても、何をしても、ダメなように思えて、それ以外には考えられなくなる。
ダメというのは、ダメということなのだ。
で、だが、こんなふうに、こんなことを、カーソルかたかた動かして、画面を見る。
自分の、鬱屈した、はけ口のように、そこに言葉として文字として、つらなっているのを、見る。
胸の動悸も、はたと治まる。
ふいに、不安になる。
『 自分の、思っていることと、やっていることの、一致していた時間が、自分に、あった試しが、あるのだろうか? 』
幼少時は、学校に行けなかった。行かなかった。身体が拒んでいた。精神が、細胞が、拒んでいた。
頭の中では、学校に行かなくちゃ、と強く、強く思っていたのに。
青年時は、働いていた。ああ、あった。一致していた時期があった。ぼくは、働きたくて…、いや、違うな。
働かなくてはイケナイのだ。働かなくては、イケナイのだ、そんな、「思い込み」から、ぼくの頭と、身体は、一致していたようだ。
思い込みの力、岩をも砕くほどの、思い込みの力があった。実際、身体を壊した。
予備校のバイトと進学塾の社員見習いを掛け持ちして、さらに好きな女の子や年上の女性とのデートにデートを重ねて、ぼくは壊れた。
何日間か、しんみりしているうちに、回復した。
要は、単なる、所謂ワガママ、なのだ。… ホントか? いや、少なくとも、きっとそうなのだ。
自分の、思い通りにならないから、やきもきして、当然、勿論、身も、やつした気になって、金魚みたいに、口をパクパク、水面に近づいて、まるでそれでいかにも精一杯みたいに、ハーハーしているだけなのだ。
しかし、考えてもみろ、自分。
『 おまえが、ホントウに、コレデ・ヤッテイコウ、ト、思イ込メタ・コトガ、アルカ? 』
今、今、今、だったろう、自分。
これで、やっていこう、では、なかったろう。
「いこう」ではなかったんだ。「いる」だけだったんだ。
しっかりしろ。しっかりできないか。思い、込めないか。じゃ、うーん、どうしよう。
ほんとに、どうしよう。
「まず、きみは、『 ほんとにどうしよう 』、と、こうやって、15インチの画面に、文字を打てるということ、これに、ともかく、感謝するんだね。」
「そうですね。」ぼくは応える。きみは、誰なんだ?
「15インチの、画面さ。その下にある、キーボードも、なかなか、やるよ。」
「確かにね。」
… 大丈夫かね、わたしゃ。
「いつものことだろ。」15インチが、いう。
「確かにね。」ぼくはこの打たれた文字を見る。
「ダイジョウブ・だよ。」誰かの何かが、画面の向こうから、空気のどこかから、目に見えずやってくる。
ぼくは、くしゃみをする。