ビール考

 サッポロの赤星の缶ビールが美味しい。

 値段も、ヱビスや外来(外来!)のそれより安く、他の普通のビールとたいして変わらない。で美味しいのだから、たまらない。

 だが、この赤星、なかなか売っていない。コンビニにもなく、唯一あるスーパーの在庫も少ない。「期間限定発売」と書いてあった気がする。

 もはや350mlの姿はなく、500mlも残り数本である。そこはお酒にけっこう力を入れているスーパーだ。

 美味しいビールが、もう飲めなくなる。残念だ。が、ちょっと、うん、これでいいんだ、と思おうとしている。

 ビールは高い。贅沢だ。この考えは、もともとあった。でも、飲みたくなる時がある。眠れない時だ。350ml1缶で、眠れぬつらさが緩和される感じになる。実際、よく眠れると思う。

 だが、やはりビールは高い。罪悪感をどこかに感じる。飲まなくたって、いや、飲まない方がいいのに、と思う。

 なきゃないで、きっと済む。なくたって、いいはずだ。

 ましてや、1リットルも飲めば、夜中の頻尿に拍車が掛かる。自分で自分の首を絞めている。

 飲んで、気持ち良くなっている時間より、夜中の方が長いのだ。

 だが、あると何だか安心する。今も冷蔵庫に、4本、鎮座している。あのスーパーでしか売っていない、最後の6缶パックだった。

 美味しいのは、罪だ、と書こうとしたが、美味しいからといってそれを求める自分が罪だ、が正しい。

 なきゃないで済む、済ませたい。済まないわけがない…

 タバコといい、インスタントコーヒーといい、嗜好品の極みである。それを習慣のように、いちいちありがたみもたいして感じず、口にする。

 いつか、ほんとにタバコも吸えず、この「当たり前の習慣」ができなくなる日が来るんだろうなぁと思う。

 そう思うと、…今のうちに、という気持ち、また、その時がどうせ来るんだからもう嗜むこともやめようという気持ち、こんな二つの気持ちに挟まれる。

 習慣というやつは、ほんとうに…。