「人間だから」

 しかし、そう、ナンダこんな世界、腐った政治、モラルも徳も失くしたような人間、思慮、自分の頭で考えることをしなくなった人間── そう見えるのは、ネットが蔓延って、それまでもそうだったのに可視化、分刻みで細かいニュースがいちいち見えるようになったからだろうか。

 悪いことの方が、よく記憶に刻まれるし、目につき易い。家にあるしゃもじなんか、もう10年以上使っているのに(100円ショップで買った木製のやつ)、この良品がどこのメーカーなのか分からない。粗悪な商品は、しっかり会社なんかをチェックして、二度と買うか、となるのに。

 そう、おかしな人間は昔から山ほどいたろうし、たまたまネットの時代になって、表に出易くなった。また、やっぱりネットの時代になって、いよいよ「自分の世界」に引き籠もる、籠り易い環境になった。つまりは身勝手な── あまり面と向かった人間関係が不得手な、だからどこか孤立化したような、せっかちで自分本位な人間が増えた──ように見える。

 同時進行だ、社会… 冷蔵庫や洗濯機が生活を変えたように、パソコンやスマホ、果てはAIで、生活の仕方が変わり、人間自身も変わっていく。

 人間が人間を変えていく。それは、何が悪い、誰のせいだというものでなく、人間というもの、そのものに内包する、由来するものだと思う。

 では、その人間とは何か。

 これは、人間とは何か、と問えることによって、ぼく自身が考えることのできる、ありがたい問いだ。また、それを考える相手がいたなら、初めて同じ景色、同じ場所に立てるというような、ぼくには掛け替えのない、大切なかすがい・・・・だ。

 ぼくには、ほんとうに不思議でならない。どうして人間のことを考えない人間が増えている(ように見える)のか。人間が、なぜ人間であるのかを。

 自分の立場だけを考える、他人のことをほんとに他人として扱える、「自分だけが良ければいい」とほんとに本気で思えるような人間がいることが。

 どうしたら、そうした思考回路ができあがるのだろう?

 ぼくだって我が身が大事だ。でも、ひとをほんとに蹴り落としてまで、出世しようとかお金持ちになろうとか、そんな考えを持つことはできない。そんなことをするぐらいなら、自分から降りるし、譲る。

 一体、どうしたら「ほんとに自分のことだけを考えられる」のか、それが分からない。

「人間だから」を、一つの標語のように扱う人がいる。「人間だもの、ミスするさ」とか、「人間だからね、仕方ないわよ」とか言う。そういう人を、何人か知っている。だが、彼らは「人間」を盾にしているだけで、実は何も考えていない。

「人間だから」で思考が止まっている。それで済ませようとしている。

 ぼくが見てきた人の中で、あまり尊敬できないような人の場合、たいていこの「人間」を自分の都合のいい方へ使っている。

「人間だからいいじゃない、仕方ないじゃない」を自分にだけに使い、まわりへはそのとっておきの「人間だから」を使わないのだ。

 私的な話で申し訳ないが、職場によくそんな上司がいた。もちろんまわりの評判は最悪である。でも、その人はそうやって生きてきたし、それなりの地位を築いたわけだ。それに習って、そのような人間が増えていく…?

「他人」のことではなく、「人間」のことを考えない人間…

 さっきから頭に飛んでいるのは、「個人」と「人間」というイメージだ── 鳥が一羽、飛んでいる、一羽、一羽、飛んでいる。一体の鳥には、自分という意識がある。他の、数体の鳥は、その一体の鳥から見れば他人である。そして一体一体が、そのようにして存在している。

 だがその鳥の向こうには、空が、大きな大きな空がある。これが人間── 他人と自分、人間、という三つを形にした時のイメージだ。

 個。ここから、ぜんぶ始まるのは確かだ。だがその個、個は、空があって、個が空を見て、初めて個であるという… 空を見、空の中にいる存在を自覚し、自己を自覚し、自分は全部ではあるが、全部ではないということを知ること…

 自分をほんとに可愛く、「人間」を自分にだけ都合よく自分に取り込んでいる人間は、人間のことなんか何も考えていない。

 他人のことは考えているだろう、でも人間のことは何も考えていない。

 空を見る目が無い── 見ようともしないなら、目も無いも同然だ。

「人間は身勝手だろ。自分のことしか考えないだろ」あなたはそう言うかもしれない。

 それは事実だとしても、それはあなたがほんとうに考えた、自分の言葉か。

 みんな、そうじゃないか、という、「みんな」を盾にしているだけではないか。

 勝手で、自分第一で、何が悪い── そんな、妙な開き直りが、まかり通っているように見える。また、まかり通れるだけの、妙な環境が「整った」世界、社会にいる気がする。

 気のせい、と思いたい。きっと、気のせいだろう…