丸坊主

 自分も坊主頭だが、高校野球児たちほどではない。

 あの「みんなが丸坊主」という光景は、どこか異様な感じがする。手間がかからなくていい髪型ではあるが、「みんなが」というところに異様さが感じられてならない。それはリクツでなく、自分のヒネクレでもなく、「パッと見」から僕にどうしもなく感じられるものだ。

 何かの記事で見たが、特に丸坊主でなくてはならない規則はないらしい。ロン毛でもアフロでも、人の迷惑にならなければ、髪型なんか何だっていいのだと僕は思う。

 もう何十年も前からいわれていることだ。意味のない校則、慣習。生まれつきの天然パーマなのに「直毛にしろ」と「逆パーマ」を生活指導されるとか、スカートの丈を定規で測るとか、一体何のための規則なのかという。

 大人とか子ども、教師・生徒、女とか男とかいう前に、われわれは一人一人の人間であるのだし、年齢や性別なんて後出しジャンケンのようなもので、あとから付随したものだ。まずは「いのち」から始まったわけで。

 変わらぬ規則、慣習は、一種の手抜きで、「こうなっている」というだけのもの。「なぜそうなっているのか・なぜ必要なのか」を考えなくさせるに一役買う、それ以上の効力を個人に与えないと思う。

 だが、「ずっとこうなっているんだから」「規則だから」を殺し文句のように使う大人どもが、何としても多い。大人どうしが集まる職場でも、そんな輩が多いのだからたまらない。

 何も考えない頭。飾りのように付いているだけの頭。いや飾りにもならない。その頭が絶対のように、つまり規則・慣習として、水戸黄門の印籠みたいに振りかざす。

 手入れをしようよ。大切な、髪なんだから。