でも何かもう、妙な焦燥感に駆られることもなくなった。薄くなったと思う、時間へのこだわりとでもいうものが。
完全に何かをあきらめた、というわけではない。ただボンヤリしてるだけかもしれない。
昨日、洗濯物を干そうと庭に出たら、「おはようございます!」と声がした。庭どうしが向かい合っている、その意味での「お向かいさん」のご主人だ。広いお庭なので、またしゃがんで何か植えていたらしく、遠く、小さく見えた。おはようございます。
暑いですねえ。暑いですねえ。大丈夫ですか?(この暑いのに、よく庭で作業をしていらっしゃるのだ)
ええ、日陰を選んでやってます。日に当たると、もう… みたいなことを仰る。ああ、ほんとに気をつけて下さいね。はい、ありがとうございます。
お元気そうで良かった。コミュ障(として逃げている)の私は、庭先で誰かと会うのがコワイ。で、なるべくお向かいさんが作業していない時に、洗濯物を干していた。
だが、まさか、いらっしゃるとは思わなかった! 不意打ちだったせいか、特に構えず、普通に(?)会話ができた。何ということもない会話だが。
あれこれ想像しない方がイイんだよな、相手のいることは。それに、人は私に、私が想像するほど興味も関心もないよ。あるとしたら、その人の方がきっとフツウジャナイ。
奈良に引っ越して、この家に住んで10年位。まわりはみんな、昔からずっといるような人達で、新参者としてチョット心狭い感じはする。あまりこういう環境に慣れていない。一軒家というのは、なんだかシンドイ気もする。
奈良の中では都会の方なんだろうけど、やっぱり田舎のような感じがする。そこがちょっと怖い。べつに、わるく言ってるわけじゃありませんよ。
盆地のせいだろうか。何か、こう…。いや、住宅街の一角に住むとは、こういうことなんだ。結局町内会があったり、ご主人、奥様がいらっしゃり… 「村」的な、何か、自分にとって息苦しいような空気があるものなんだ。たぶん、私次第でどうにでもなる。
時間が経つことにあきらめられたなら、自分のいる場所についてもあきらめられそうなものだが。人って、ほんと、怖いと感じてしまう。介護の仕事の時のトラウマか? いや、繋ぎ合わせているんだな、そういう記憶たちを。
どこにも定住しない、ジプシーみたいに生きたいものだが。それは、頭の中だけにしようか。… できるかな、そう。
きっと、ひどいコンプレックスがあるんだ、私には。