どうにもならないこと(2)

 しかし考えてみれば、考えるまでもなく、この世はまるで「どうにもならないこと」に包まれ、満たされているようにみえる。

 第一、「私」自身がどうにもならない。わざわざ自分を苦しめるような思考回路を有し、ブッダにいわせれば「心に支配されるな、心のあるじとなれ」みたいなことは全くできていない。ずっと、どうにもならない心に支配されっぱなしである。

 ある自己啓発的な書物によれば、「まずあなた自身が平和な心でありなさい。一人一人が平和であれば、この世は平和になります」みたいなことをいう。そりゃそうだろう。だが、われわれは影響し合う生き物だよ、と Mr. チルドレンも歌っている。そして平和な心でないような人が、何やら多そうな世界である以上、そんな心をもつことは一層難しくなるものだろう。

 とか言ったところで、何ということもない。私は今日も「どうにもならない私」によって、こんなことを書き、何か食事の支度をし、銭湯に行くことになるかもしれない。

 それらの行動をする私は、「そうしたいからしているのだ」と言えない。「したい」が本当ではない。せざるを得ない、そうさせるものが、本当のところには、いる。

「自分がそうしたいからそうしている」のではない。

 私がほんとうにしたいことは何だろう。セックスだろうか、死ぬことだろうか。

 私は、私の知らないものに、いつも支配されている。