身体に左右される(2)

 私はなぜこんなに考えるようになったのだろう?

 考えざるをえない「現実」があった。現実! どこからどこまでが現実だろうか。

 私の細い目、ヨコ2cm、タテ1cm弱ほどの、この眼に映ったもの・・。これがうつつと呼んでいいものであろう。

 ならば、そこに不安や心配事、絶望や希望といったもの、その現実に、それらのものは無いはずである。それらのものは、目に入った「私」の、眼を経由して私に入ってきたものへ、私がそれらのものを肥大化し、また卑小化し、崇めたり蔑んだりする──「目」以外のもの、すなわち「現実」以外のものが為せるわざ、と思われる。事実、そうであろう(だがこの事実は、私にしかない事実なのだ)。

 簡単に言って、単純な話だ。薄皮を、小指の先ひとつで剥くような話だ。

 現実は、ただそこにあるだけ。ただあるだけのものに、意味をつける── ネガティヴだのアクティヴだの、それは良き事、これは悪しき事、等々、等々…

 善悪というと、私にまだ引っ掛かる何かがあるが、この世にあるもの、ありとある、在りとして在るもの、そのぜんぶは、ある・・という、ただそれだけのと言っては乱暴だが、とどのつまりはそれでしかない・・・・、ということのように思える。

 この、そう思える、こう思える、この思えるということ、この「思える」は、ひどく私に現実的である。リアルに、まるで明確な輪郭をもって、私はそう「思える」。

 あるということ、あるということ。

 私はジュモンのように繰り返す。ある、ある、ある…