朝起きてパソコンの電源を入れる。そしてPV数を見る。昨日はどのくらいの人が読んだか知りたくて。
伸びていなかったらガッカリする。増えていたら嬉しくなる。そんな一喜一憂から私の一日は始まっていた。いいね!が入っていた時など、かなり嬉しくなって。
だが、そんな一喜一憂の後にも、むなしさがあった。いいね!は嬉しい。私はランキングの上位に行く。もともと、参加者の少ないカテゴリーなので。それでも、反応があることが嬉しかった。
そうして「こんなことを書けば共感を得られるか」「こういう書き方をすればもっと読まれるか」と、私の書く内容は、まるでそのPV数やいいね!によって左右された。
これがむなしさの正体だ。知らない人の、たったの「ポチッ」で私が浮き沈む。私の書きたいこと、ほんとうに書きたかったこと… その矛先、内から外へのベクトルが、原形のままでなく歪められる、いびつに曲がりくねる、数字を意識することによって。
そんな書き方を、程度の差こそあれ、ここ数年、してきてしまった。(この「程度」とは、「読まれる」かどうかよりも大きく「言いたい」ことが内に発生するかどうかによる。もっといえば、その発芽の土壌が「読まれた」嬉しさに起因するのか「読まれなかった」悔しさによるものか… いずれにしてもパソコンの向こうの「他者」を意識したことに変わらない)
私の中に、客観は既に存在していた。言葉にする、形にするということは、そういうことだ。
それが、ただのポッチ、またはPV、そんな数字の変化一つで、そっちへ相当の意識が持って行かれてしまうということ。
これではダメだ。
… そうだ、こんなことを書いている時、兄から電話があったんだ。
あの時も、涙が溢れた。何なんだ? 涙って?
『自分のやるべきこと。これに気づいたなら、それに精進すべし』だ。キルケゴール、あなたはそう云った。ニーチェも、『朝から本など読むのは不健康だ』。
生きよ、生きよ。そして死ね。生きるも死ぬも、同列なんだ。
自分の哲学を持ち、そこから生きて行くんだよ。死ぬまで生きるんだよ。
どうせ死ぬのに、戦争して、傷つけ合って。何やってんだ。昨日の朝、そう思った。これがどうの、あれがどうの、ゴミ出し、釣り銭、あの人がどうしたこの人がどうした。何やってんだ、って思ったよ。
俺、平和な世界、つくり方、知ってるよ。
一人一人が、しっかりするんだ。哲学を持つんだ。でも、人間であること、人類ってやつ、この生き物に満ちた世界の中で、「人間」と区分けされた生物として、生来備わっている「考える」性能を、存分に駆使するんだよ。必ず、意識するんだ。この、人間であるということを。
何千年もの間、生存、続けてきた人間として、を意識するんだ。
何のために生きて来たのか? 個であるとともに、人、「集」でもあってさ。この集、あつまり、なぜ、どんな世界を人間として創造するか。どんな世界を、この人間の集まる世界で創造していくか。
争いのない、平和な世界。けっして、争いのない世界。それを。
一人一人、勝手にやっていい。でも、哲学をもって、しっかり生きるんだ。あの理想の世界、平和な、春の穏やかな海そのもののような世界をつくる。それを目的… そのために、人間、人類ってやつ、生まれて死んでをずっと繰り返して来たんだ。
もう、争うのはやめようよ。やめようじゃないか。繰り返すのはやめようよ。
個人の生死は繰り返す。でも人間、人類ってやつは続いてく。続いてきた。
少しは、進化しようよ。ほんとうの、進化をしようよ。
人を批判することもない。責めることもない。一人一人が、各自、自分の生を生きるんだ。それでいて、人間、人類であること、あの平和な世界をつくることを忘れない。これだけは、けっして忘れない。そうして、一人一人が、ほんとうに考えて生きるんだよ。
その人がほんとうに考えて、その人として何かをやったとする。その人は、しっかりやったんだ、それを。そのことを、認める。認めるんだ。自分だったらこうするのに、なんて思わないで。
その人の、全力だった、と。認めるんだ。一人一人が、そうなんだ。そうして、信じあって、生きるんだよ。神も仏もないよ。あるのは、人間だけなんだ、この人間って世界の中では。
ひとりひとりが、個であると同時に、集だ。群だ。この二つのもの… これを意識するのは一人一人だ。でも、この個と集、それだけでなく、「あっちの世界」、平和な世界、ほんとうに平和な世界を創造する、つくる、それへ向かうことができる、このことを。この「三つ目の世界」のことを、必ず忘れずに。
時間がかかるよ。また何千年もかかるとしても、それを目指していくんだ。そうすればきっといつか、ほんとうに平和な世界が… 来ると思う。