なるほど、時の流れの前に人間は無力であるだろう。
とするなら、結局死の前にも人間は無力である。
そして生と死が同じ生命── 同一であるとするなら、生の前にも人間は無力であるだろう。
であるにも関わらず、生のなかではあたかも人間、力をもっているがごとくに振る舞っている。
力の強弱、能力の優劣。力を発揮せぬ、できぬ人間はまるで無能であるがごときだ。
一体、いつのまに。
勤勉、労働。何かすることを、よしとするばかりだ。無為は、まるで悪であるようだ。
何かすることばかりを善として
何もしないことは悪とする
しかも、何か「世のためにすること」をよしとする。
行き着くところは功利主義。実利、有益が重んじられ、そうでないものは排除── に等しい扱いを受ける。
そのとき、目はどこに向けられるか。
ただの、その身体か。その存在か。そこにある、そのもの自体、そのものにしか向けられぬか。
そこにしか向かぬというのなら、それを盲目というのだ。
そこにあるものしか見えぬ、盲者だ。