子どもたちの「戦争」

 柳美里の「自殺」(文春文庫)を読んでいる。いつ買ったかも忘れるほど、だいぶ前から家にあった本。
 おととい、「もうほぼ絶対読もうとしないと思える本」の整理を家人とした。ネットの「もったいない本舗」へ寄付という形で、ダンボール5箱に本たちが収まった。
 いざ手放すとなると、惜しい気になる本もあった。その選別の最中、この「自殺」をぱらぱらめくり、読んでみようという気になったのだ。

 昨夜寝床で読んでいて、ああ、自分のいいたいことと似ているから読みたくなかったんだな、と確認した。
 が、昭和60年、高層団地から飛び降りた小学5年生の男の子の残した、詩のようなものを読んだ時、ぐっと来てしまった。

 紙がくばられた
 みんなシーンとなった
 テスト戦争のはじまりだ
 ミサイルのかわりにえん筆を打ち
 機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ
 そして目の前のテストを敵として戦う
 自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ
 テストが終わると戦争も終わる
 テストに勝てばよろこび
 負ければきずのかわりに不安になる
 テスト戦争は人生を変える苦しい戦争

 もう一つは、

 勉強してどうなるのか。やくにたつ、それだけのことだ。勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか。ロボット化をしている。こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。

 ── この本は、柳さんが神奈川の県立高校で講演した内容そのままに始まっている。本では「レッスン」となっているが、高校生を相手に、柳さんは自身の自殺未遂体験を語り、また自殺した人たちの具体例をあげ、動機、死にたい思いについて考え、自分の言葉で喋っている。
 そのなかで、柳さんはこの詩のようなものを朗読した。

 ああ、戦争というものは、国と国、内戦、武器を持ち殺し合うだけのものではないのだと痛感した。
 そう、日常的に──

 大人はばかだ。俺も、ばかな大人の一員だよ。しかし…

「平和の代償」という章もある。
 自殺を、自分の人生にプログラミングすることも柳さんは説いている。自殺のすすめではないけれど、考えよう、ということを柳さんはいいたいのだと思う。
 しかし、よく高校でやったものだ。大切な、ほんとうに大切な「科目」であったと思う。