「可能性の権化」

 これは昨日読んでいた「あれかこれか」にさりげなく書かれていた言葉。
「可能性の権化」。結婚についての、れいによって長々と書かれ続ける文の中で、ひときわ煌めいてグググと来たもの。
 可能性の権化! こんな言葉、恋愛や結婚、その心情や状態のみに留まるものではない。
 あらゆる生命の土台がここにある。
 
 何でもできる。しないこともできる。
 言えば、「きみは自殺することができる。しないこともできる。人を殺すこともできる。そうしないこともできる」斯くして、「きみは── ひと、ひとりひとりは、すべからく可能性の権化である。」「戦争をすることもできる。しないこともできる。」
 私の頭は、そんなふうへ飛んでいった。キルケゴールは、そんなことは一言もいっていない。

「可能性の権化」。
 気力を、充実させられる気になった。そう、ひと、ひとりひとり、可能性の権化なのだ。