だらだら書いて申し訳ない…
だが、したがって、これが私の「平和の道理」、と思うのだ。
つまり人間、ヒト… あれこれ思考、欲を重ねる、人ってものは…
人に限った話じゃないが、とりあえず人、人として、…
元々、我なんて無かった。
それはそれは、静かな、つまり平和な…
春の海みたいに平穏な、おだやかで、たおやかな波のような存在だった。
それが元々の、存在の姿…だった。
だから戦争も、日常でありがちな、些細なモメ事も… ねじくれた、いびつに、ひん曲がってしまったものだ。
平和な、おだやかな姿が自然であるとしたら、あまりに不自然だということだ。戦、諍い、争い、というものは。
だから戦争は本来人のあるべき姿でなく… 真理、まことのことわり、道理、道に反するもので…
だって受け容れることができるんだから。
受け容れることができることが、できるんだから。
ひとりひとりの存在…《私》が、《私》が、《私》が。
そうして育ってきたはずなんだから。何億年かかけて。
寛容なものだったんだ。
無駄な殺し合いなどしない…
受け容れることのできる…
不寛容であることは、いびつなことなんだ。真理、道理に反して…
が、《私》の意見だ。
美化してるわけでも何でもない。そういう、それだけの存在だったんだ、そういう存在なんだ。
だからイガミ合い、荒れた心は相手も自分も疲弊させ、いびつにさせ… それがねじくれた現をつくり…
ふさわしい言葉が見つからない…何も言い当てられてない…
これでおしまい。