I、AI、あい…

 宣伝なんかじゃないよ、ただの疑問だ。
「希望と絶望の間に」で検索すると、ぼくのブログが出てくる。三つぐらいの記事、中でも「大宗師篇(一)」「養生主篇(四)」が。
 で、簡単に、この記事の説明文が付いている。ぼくの書いたものではない、このブログ記事の、いわば《紹介》が。
 この「大宗師」では、《大宗師の思想を紹介するブログ記事です。自然と運命について考える大宗師の見方や、自殺者の精一杯の選択に対する尊重心などを紹介しています。》

 以前、某投稿小説サイトで「戦時下であること」に書いた「批判精神と同調意識」でも、同様のことがあった。ブログにもこれは投稿したので。《このブログ記事は、人間に矛盾するようにある批判精神と同調意識についての考察です》云々、みたいに紹介されていた… いったい誰が、ぼくの記事について書いているんだろうと思った。
 AIだ! 人間の誰かが書いてるもんじゃない。気づいた…
 そんな悪い紹介のされ方ではなかった。むしろ感心した。そうか、俺の書いたのはこんなふうに要約できるんだ、と。
 すごいな、AI! でも一体、どうやって?
 人間がつくり出したはずのAI、そいつに人間が振り回される… 本末転倒、驚天動地、なんでもAI、AI、AIだ。

 ところでセリーヌ、あのサルトルもセリーヌの文体を剽窃していたらしい。「嘔吐」になるわな、そりゃ。
 ぼくも真似てる、セリーヌの文体を。「ユダヤ人、糞くらえ、ナチ・ドイツ、糞くらえ!」てなもんで。
 でもセリーヌ、いまやそんなもんでもなくなってきたよ… 思うに、あなたがあんなに嫌ったユダヤ人も人間なわけで… 欲があり、狡猾さがあり、… それが人間なわけで。これには、人種なんか関係ないよ。
 虐殺も戦争も、起こしてるのは万人共通、人間共通、万国共通にある欲、残虐さ、ずる賢さ、人間特有のそれなんだ、こいつにはどんな区別も差別もなく。
 あなたの文体流に俺も言わせてもらえれば、「プーチン糞くらえ、ゼレンスキー糞くらえ!」だ。

 大江は穏やかな口調で小説を書いていたが… 今から思えば荒々しい文体、セリーヌの影響を受けたのかと思われるのは「われらの時代」。ぼくの大好きな、スピード感溢れる、楽しい小説だった。天皇にバクダンを投げる計画をする若者たちという、ちょっと過激な描写、そして滑稽な描写もあったが。ジブラルタル、ジブラルタル…

「こんなことを書いたら、あなた、人格を疑われない?」
「小説だ、って言ってしまえばいいんだよ!」
 それはそれで、ぽっかり穴があく。虚無めいた、ウソ?的穴が。
「あなたのはエッセイだから…」
 それはそれで、ギクリとする。
 汚い言葉、俗語、文体をとおして、私という人間が?
 誤解? 理解? それはもう読者の黄金権だよ…