つらい。読むのが苦しい。
けど、読んでしまう。他の作品を読もうと思えない。
そんなセリーヌの魅力にやられて、数ヵ月。結局全作品が手元に。
「ノルマンス」は面白かった。でも記録的に売れなかった作品らしい。
「またの日の夢」の続編だったが、これがまったく売れなかったため、タイトルを変えたのだとか。そしてやはり売れなかった。
いつになったら、われわれはセリーヌを読める大人になれるのか、とフランス人の誰かが評していたが。
あんな爆笑できたのは久しぶりだった、初めてかもしれない。ノルマンス。
本を読んで笑えるというのは素敵なことだ。
たぶんセリーヌ自体が爆発していて、冷静沈着に、医者としての技量を文章に緻密に綿密に── その推敲たるやとんでもないものだったらしい── 丁寧に文章に爆発させたのだと思う、患者に向かうように、元気を、勇気を…
読みたくないのに読まざるをえない、これは一体…。
必要としているんだろう。
セリーヌの作品に、戦争が描かれていない作品はない。必ずどこかに顔を出す。場面の描写、残酷な現場のことというより、人間というものを描いているのだと思う。戦争は、その悲惨な表象にすぎない…
人間の持つ、生来の野蛮さ、残酷さ。これをユーモア(笑わさられるんだから…)をもって読ませる筆力!
ただ忍耐、我慢が必要だった、ぼくが読む際には。
またこんなこと書いてるよ…とげんなりしながら読み始め、進むうちにいつのまにかセリーヌの掌で転がされているような。そして笑ってしまう、すごいなほんとに、と思う。
ことにこの「虫けら」は… 「パンフレット」の三部作の一つ。パンフレットには「社会的主張」というような意味もある。セリーヌの場合、意味がありすぎた。書いたために、牢屋にぶち込まれ、娑婆に戻ってからも財産・収入はほぼ没収され…「今日もニンジンだ!」とニンジンばかり、一番安かったのだろう、そんな描写も作品にある。
しかしこんなに惹きつけられる作家とまさか出逢えるとは… そしてこんなウンザリしながら読みながら、読むことをやめられないとは。戦争について考える時、また日常で人の野蛮さ浅墓さを肌で感じるような時、どうしたところでセリーヌに立ち返る。自分自身に帰る…ような思いがする。
「虫けら」を読むのがほとほとイヤになって、その内容といえば悪罵、罵り、憎悪、もう酷いようなものだが、そんな毒の底には、限りないと言っていいような人間愛、人類愛が、とってもホットに、なかなか見抜けないところにしっかり、でかく深く、ある。
そう、読むのにイヤになって何か書こうと思ってここに書きに来たんだった。逃避先のブログ。
でもまた読むんだけど… まいった、まいった。