私は確認ばかりしてきたようだ。
生きてることの確認。
こう思った、なぜ思った、の確認。
こう感じた、なぜ感じた。
こうした、なぜした──
現であることを確認し、現でないものを確認し。
〈何の目的もなくつくられた人間〉
人間も、肉体をもったもの… 肉体という物である。
だがこの物が目的もなくつくられた。
物としてあるにも関わらず、どう使われていいか、どう使うべきなのか分からぬものだ。
自由であるといえば自由だ。
だが、自分である由を知らない。
自分などというものは、「これが自分だ」と思っているだけで、ほんとうは「無い」ものである。
皮膚が痛いと感じる、これは皮膚が痛いのであって自分というものではない。
眼がかゆいのも、歯がしみるのも、胃や腸、腰が痛いのも、それらがそうであるというもので、自分そのものではない。
「私」はそれらを備えるものである。
それらは、「私」に備わったものである。
悲しさ、淋しさ、喜びも、心が感じるものであって、それは「私」ではない。
「私」はそれらを観じ、よく見つめ、よく整えようとすることができるだけだ。
この「私」=自己、は、誰もが有しているものだ。
傷つけてはいけない。
殺し合ったりしてはいけない。
それは自分を傷つけることになるからだ。
いとおしみあうこと。
それは自分自身との関係だ。
諍い、争いのない世界──
屹度それはひとりからはじまる。