確かに… と、自己完結しているのには、もちろん根拠はない。明確には。
だが根拠もなく確実だと思っている。それは? こういうところで、こういうことを書く不毛さ、意味のあまりの無さ、ということ。
むろん自分にとってだ、そこからしか始まらない、そこからしか物が言えない。
これからも、そして今も、投稿サイト、SNSと呼ばれるもの、こいつはこの世を牛耳っていくに違いない、まさにネット、網になって人を捕らえていくに違いない。
自分はもう充分に捕らわれた、いっぱい時間を使った、たらふく満喫した! 大変なのは、そこで慣れてしまった自分をどうするかということで、手っ取り早く最も有効な手立てはもうネットから離れるということ。これはいつの頃からか感じていた、もういつ死んでもおかしくないのだし、死んでいるのか生きているのか分からなくなる(少なくともここに時間を費やすことで)「今」を過ごすよりも、別のことをするべきだ、した方がいいという方向感覚は強くあった。
具体的には、本を読むこと。歩くこと。ネットから離れ、ひとりで本を読み、歩くこと。
それが自分の人生にとって良いはずだ。
と書いていると、「ほんとうか?」と自問の声が。
「ほんとうだ」と返す自分は、ある方向(ネットから離れ本を読み歩く)にのみの「ほんとう」から、「ほんとう」と言っている。
だがもう一つ、もう一方の「ほんとう」(今までと変わらない)も、「ほんとう」のようにあることが分かる。こうして書いていて、分かる。
そうしてこのまま書いている以上、抜け切れないだろうな、も。今、書いているのだから。
と、こうしていつも書いてきたわけだ。