それぞれの役割?

 私事をずっと書き続け… わざわざ投稿し!
 仕方がない? いろんな仕方がある、詩、エッセイ、小説、体験記… いずれにしても「私」を越えない。何をしたところで!
 越える時? そりゃ死だろうが、それとて自己の想像、観念を抜けず!
 ほんとうに仕方ないのは自己であるということで。そっから全て始まってんだ。
「全」、個体個体が全に、全体になって、繋がって…

 昨日東京の実家から奈良に帰宅。生まれ育った土地、人がどう変わろうが、追憶の対象に充分なるのが故郷なんだな、と思いもした。
 子どもの頃よく遊んだ公園、少し大きくなって行き始めた図書館、学校、よく歩いた商店街、八百屋、床屋、スーパー… 人は変われど、人がいて、その店もある。すごいことだ。

 自分も歳をとり、姪や甥も大きくなって、その子どもはまだ小さく、じき大きくなってまた小さな子が生まれ。繰り返し、繰り返し、繰り返す!
「私」の事、甥は立派になった! 人間的に、良く! これも母── 私にとっての嫂の死、私の父母の死、がもたらした縁故。
 十三回忌、葬式、今度は三回忌と、それまでどこにいるのかも知らなかった甥や姪との交流機会が、ここ二年の間に急に増え。嫂の御兄弟、親戚とも初めて仲良くなり。

 友達はいるが、会うのが面倒臭くなっている、でもこういう「こちらの意志に関わらず『ある』関係というもの、これが新しく感じる。これも面倒といえば面倒だが、それが故人を悼む時間をきっかけに繋がる。悲しみをもたらしてくれた時間をきっかけに!

「私」の事… 甥はしっかりした、善/悪の言でいってしまえば善き成長をした。姪はもうちょっとしっかりしてほしい、と書きたくて、しかしそれが彼女の「今」で、それぞれの「今」があり、それが血縁関係の中で、つまり人の集まり・集合の中での「役割」、存在になり…
 その詳細については書くまい! 一人一人の役割、自分を含めて、存在、役割、存在があるということがいいたかったんだ、「集」のなかに「個」があり、「個」から「全」に繋がっている、ということが。