いつかどこかで聞いた言葉。
「遊びの基本はひとり遊び」も。
いずれにしても、ひとりが基本だろう。
… それにしても、なぜこういうスタイルで書くようになったんだろう。
昨日は庭で家人とフェンスをつくりました、玄関に伸縮フェンスを付けました等々、日常生活を書き、そこから会話や近所、空の色、空気の感じ、些細事から頭の中に旅に出て、思い・感じをラジオのDJみたいに読者に話し掛ける── そんなふうに書いていたのだが!
今も日常のことは書くには書くが、それだけではむなしくなった。
確かに昨日はいい天気だった! 作ったきのこご飯も美味しかった!
で?
ほんとうのこと、ほんとうのことを。
事実は事象だ、それについての感想は感想文だ… それだけではむなしい。
過去の自分の書き方と今。目的が変わったことが大きいだろう。
自分のことを書くことには変わりはないが。人を求めるというより、探す── 探しものを探す、考える、ここにより重点、重みや軽みがあればの話だが、置く、これも置き場があればの話だが… ようになった、それも自然必然、なるべくしてそうなった、と省みればそうなりそうだ。
事象、事実、在る物、可視物、これはこれとして、しかし、でもそれは一体何だ、一体それは何なんだ、ということ… 「見」「感じる」者がいて、「見られ」「感じられる」モノがあり… その関わり、関係、について考えて行くこと… それが「書く」ということになった感がある。
感情もある! わけのわからない、ある何かをきっかけに、怒りや悲しみ、喜び、… 喜びはあまり言語化されることを好まない、悲しみ、怒り、憂鬱の方が言語化されることを望んでいる、されて喜ぶ、形にされて収まる。
憂鬱や絶望、希望のなさ、これらはなんとありがたいものか。これらがなければ、ないというのはあり得ないことだが、まさに何もなくなる── 希望も明るみも笑いもなくなる。絶望や不安、憂鬱といったものは、大切にしなければならない! でなければほんとうに何もない、「人間の存在は不安である」そんな言葉もあるほどだ、そしてそう、それは全くそうなのだ。
ちょっと考えればすぐわかる、自明の理といっていい。不安や苦しみ、精神的なものに限るが、これらなしにどうして希望が生まれよう? 暗闇の中でこそ初めて明かりが見えるというのに。
ばかみたいに前向き、ポジティブ云々、明るさが第一、なんて、空っぽの箱が歩くようなものだ。ぐしゃっ! 抜け殻だけ! 本体はあさって… どころか、無し… なぜならそれを見ようとしなかった、よく、よく目を凝らしもしなかった!
どこも見ようもしなかったも同然だ、めくらだ。取って付けた目、福笑いの切り抜きの目、手探る本人が盲目同然… 暗闇が怖いのは気のせいだ、目が慣れるまで待てない、時間、待つ、この動作、何もしない動作、見る勇気、勇気も要らない勇気、それらがいっかな軽視され… 視力さえ発揮されず… 前へ前へ、やみくもな前進のみが良しとされ、それが良いのだと思い込み!
何にしても時が経つ… どっちにしても同じことだとしても、ちと酷いんじゃないかと感じられる、たとえばこんな投稿サイトでどんなイイこと言ってたって、実際は? 何だって言えるわな、そして酔い、まるでスマホの中、PCの中が自分の世界だ、その肝心な自分自身は?
そこのところ… 「こうすればシアワセになれます!」といった投稿がよく見られるが、で? 承認願望を満たしたい自分自身のことは? 人の目ばかり気にする自分自身のことは? 考えても仕方ない? ジ・エンド!