「単独者」

 自らすすんで孤独になる人がいる。自らすすんで奇を衒い、他者と異なった自己を演出しようとする人もいる。皆と同じになりたくない、として。
 彼らは、どの動機がバレていることを自覚しない。浅はかで、みみっちい自分であることが悟られることを恐れるために。その恐れの中にほんとうのセコさ、小心さがあることを自覚しようとしない。

 この恐れと小心さは同じ彼自身の中に同居する、彼自身に他ならぬものだが、彼にとっては高層ビルと平屋の一軒家ほどの高低差があり、「自覚したくない」意思がそうさせていることにすら、むろん気づかない。自己の中に、そういう自己がある、その意思があるということを、舞台エキストラの通行人Aほどの無関心さでやり過ごしている。いやそんな者がいるということにこれっぽっちの意識も向けず、いるということさえ、いたということさえ気づきもしない。

 この気づかない点は、意思の働く余地もない。自覚したくない意思には、自分にとって不都合であるという、不都合には他者が欠かせぬ材料であるから、他者の目から自己がどう映ったかという場において初めて自己防衛、そのせこいプライドに更にせこさを加え、意図的に自覚しない、しまいとする。

 ところが意図しない、意図する必要のない、と彼が判断する場では── だからひとりの時だ、それまで彼が吸ってきた息の吸い方でのうのうと無自覚そのままで、無反省、無意識そのままで、その時働く意識的なものは自己にのみ集中される。(他者がいようが自己だけしかいまいが、いずれにしても彼の世界、彼以上の世界になり得ないことは、彼がここにいる以上結局同じことなのだが。)

 さて、ここにもう一人の人物がいる。彼は、幼い頃から、皆と同じになりたい、同じようになりたいと思っていた。それは願いであり、彼の全身全霊をもって「皆と同じになりたい、皆と違っている自分はいやだ、こんな自分は殺してしまいたい」と願っていた。彼にとって「まわりの人間」は、自己を殺さずに自己であり、空気と同化するように自己と不自己(他者)どうしとして、時計のようにそれは回っているように見えたから。

 それは彼にとって憧れの世界だった、しかし彼らは、憧れの世界にいる彼らは、彼の憧れを実現していることなど気づくはずもない。それが彼らにとっての当たり前な、当たり前な世界だったからである! ああ、当たり前には、嘘も本当も入り込む余地がない!
 そして彼はひとりになった、ひとりになることしかできなかった。まわりと、まわりの者たちと同じになりたいと最大限の努力をしたつもりだった。だができなかった。

 ── 「皆と同じになりたい」彼と、「皆と違っていたい」冒頭に書いた彼と、この両極端な彼どうしは、はたして接点を、交点を見い出すことは難しい、というわけではない。両者ともに一人であることは言うまでもない。ただ「皆と違っていたい」彼の場合、「皆と同じである場所にいるところから」始まっている。「皆と同じになりたい」彼は、「皆と同じでない」ところから始まっている。

 両者とも、自意識から始まっていることには変わらない。その意識をつくる情況が、それぞれにあったことにも変わりはない。それが、始点、やがて視点となる始点、このたったの時間の点、やがては点々となる点、このためだけにあたかも接点も交点もないかのように思われてしまう。何とも悲しいことだ、何と哀れなことだ、何にとって? 存在、存在にとって、ひとつひとつの存在にとって!

 同じひとりひとりでありながら、一方は他者の顔色をうかがい、一方も他者の顔色をうかがい、うかがう点でも同じであるのに、冒頭の彼は多数の者が彼の土俵にいる、と意識するところからの「うかがい」であり、後者の彼はその土俵に自分がいない、と意識するところからの「うかがい」になる。
 そうならざるを得ない状況、現実的材料に事欠かなかったとしても、目に見えるものが、目に見えぬ意識、そこから成る自己、つまりは存在、いのちの別名である存在に、しかもひとつひとつの意識に、そこまで浸蝕、腐蝕し、それが蝕まれることになろうとは!

「単独者」という言葉をキルケゴールは使用する。彼は、けっして「孤独」とは言わない。彼は彼であった。永遠に彼であった! 彼は自己であり続けた。いや、人間であり続けた、ほんとうの、という形容詞を抜きに彼は語らない。
 それはどこまでも内面性、内面にしかありえない、だからほんとうであり、それに向かって行けば、各々のほんとうに向かって行き続けさえすれば── 自己に向かい自己に向かい、自己にさえ向かえば!
〈わたしはただひとりで立っている〉ということ、それをほんとうに自覚さえできれば、それはできるものだ… ひとりひとりが、ひとりひとりがほんとうに、ひとりひとりとして!

第1話 自由を求めて|かめ
1843年、デンマーク、コペンハーゲン郊外の借家。  彼が、玄関からばたばたと入って来て言う、「人間はまことに不合理だ。彼らは自分の持っている自由は少しも行使しないで、自分の持っていない自由を要求する...