こないだの夜中の襖の「ガリガリ」、何かが開けようとした、ほんとに怖かった体験を通して、その後の気持ちの持ち方。
あれが俗に言うユーレイさんだったとして、だからもう死したものだったとして、それはけっして怖がるものではないだろう、むしろあっちの国からの使者、いざないびと、だとしたら、ありがたいものではないか、と捉えるようになった。そうすると、特に怖さが軽減される、そんな怖いと思えないようになった。
突然何の前触れもなくあんな大きな音を立てられると、やはり驚く。びっくりする。あれはやめてほしいが、それもあっちの国に行ける案内人(?)なんだと思えば、むしろ歓迎していい、拒絶せず、受け容れたい、こころよく、と。
あの突然のびっくりがイヤで、夜中はびくびく警戒してしまうが、「受け容れたい」という方向に行くと緊張感も軽減した。
今まで見知った、そういう超常現象的なものに関する情報の記憶によれば、まだあっちの世界に行っていないフユー霊とかいわれるものだとしても、とりあえず身体から脱けたものだろうから、こっちの常識からいえば「死んでいる」もので… こんな非常識的なことを書いて常識を持ち出すのもおかしいが、それは怖がるものではない、むしろありがたいもの、と捉えたい。「お迎え」だったら、と思ってしまう。ありがたいことだと思う。
しかしオーストラリアで同じような体験をした友達はどうしているだろう、トヨタを辞めてコンビニの店長になって… こんな奇ッ怪な体験をした者どうし、急にまた会いたくなる。あの話を聞いた時、信じたけれど、どこか疑いもあった、ほんとうに信じたとは言えなかった、と今思う。
足音にしても、「ユーレイに足はないだろう」という意見があるけど、それも「こっちの世界」の常識の範疇で。その基準はこっちに生きてる人間にしか通用しないものなんだと思った。理解、常識、それはこっち限定の、限られた限界のようなもので、昔テレビにあった「あなたの知らない世界」はほんとにあるんだと思った
もうこの話はおしまい! また妙なことがあったら書くけれど、たぶんもう大丈夫。