自分の弱さについて(1)挨拶

 しかし私は、なぜ意味ばかりを付けようとしているのだろうか。
 生きる意味だの、働く意味だの、愛の意味だの、何のかんのと。

 先日、実につらい思いをした。私の家の庭は、お向かいさんの家の庭と至近にある。
 私が洗濯物を干しに出ると、お向かいさんのご主人が庭にいらっしゃった。
「おはようございます」挨拶をしたが、返事がない。
 声が小さかったのかなと思い、大きな声でもう一度、「おはようございます」

 私は無視されていた。
 それまでは、いつも向こうから大きな声で「おはようございます!」と挨拶をしてくれたのに。
 私は、一体何を悪いことしたんだろうと思い、これからも挨拶を交わせないのかと思うと、いたたまれなくなった。その1日、ほんとうに何も食べることができなくなってしまった。
 弱いと思う。今日も、庭に出ることができなかった。こんな自分が、これからも生きて行けるのかと思ってしまう。

 挨拶の意味って、何だろう。挨拶をしないというのは、どういうことだったんだろう。
 職場などで挨拶をしない人がいても、「職場だから」と割り切ることができた。しかし日常生活の場で、家のお向かいさんと挨拶が交わせないというのは、私にかなりのダメージを与えた。
 朝、ご近所さんと偶然会って、おたがい笑顔で挨拶を交わすだけで、その日1日を気持ち良く過ごせるような人間なのだ、私は。

 後日、私は銭湯で、親しくなった老人に「おはようございますって挨拶しても、返されなかったらどうします?」と尋ねた。
「相手が、おはようございますって言ってくるまで、おはようございます!って言い続ける。」と、老人は確固とした口調で言った。「だって挨拶するのは当然のことだし、悪いことではないんだから」

 しかし、今回のお向かいさんの場合、明らかな「無視」なのだった。これは、何か致命的な感じがする。
 弱い、といえば、傷つき易い、ということかもしれない。今まで、私はどんなことに傷ついたろう。
 小学生の頃の、一瞬が思い浮かぶ。給食の時、お盆を持って列に並んでいた時のことだ。誤って、私のお盆が、前に並ぶO君の背中に当たってしまったのだ。

「なにすんだよ」と彼が振り向いた。私は「ごめん…」と言ったが、彼は不機嫌そうな顔をこちらに向け、「かめ吉が! 風呂屋のかめ吉が!」と罵り始めたのである。(私の家は風呂屋ではなかったが、かめという名前は苗字に入っている)
 私は、泣きそうになっていた。

 その時、Iさんという女の子が、ああ…という顔で、こちらを見ていた。私は、あのO君の顔も忘れられないが、Iさんの顔も忘れられない。
 Iさんは、算数の問題を解いたノートを持って、先生に見てもらう列の中でも、「答、何になった?」とニコニコしながら聞いてきた。
 歯医者の待合室でも偶然会って、やはり笑顔で何か話しかけてきてくれた。思えば、いつも笑って接してくれる、気の優しい、素敵な女の子だった。

 O君に「かめ吉!」と怒鳴られていた時、算数の時間の時、歯医者の時、私は苦しい気持ちでその場にいた。算数は苦手だったし、歯医者の時はドキドキしていた。私はその時の気持ちがすぐ顔に出てしまうらしく、優しいIさんは放っておけない気持ちになったのかもしれない。
 Iさんは、とうの昔に私のことなど忘れているだろうけれど、弱い気持ちでいた時の私を、女神のように見守ってくれたような存在だった…

 こう書いていると、自分は弱いけれど、そのぶん助けられ、嬉しくなったことも、同じぶん、あったように思えてくる。
 自分の弱さについて書こう。ひとりで書けばいいのに、こうしてブログに書くところに、すでに弱さが表れているようにも思うが。

(後日談/結局何もなかったように、お向かいさん、また挨拶をしてくれるようになりました。一体、何だったのか…ただ、私の中でトラウマ化したようで、その後あまり積極的に庭に出て行けない)