立派な人間よりも

 立派な人間、って、どんな人間だろうと思う。
 というのも、もし自分が「立派な人間」だったら、好きなブロガーさんを、「堂々と」推せるような気がするからだ。
 が、ぼくのような人間に推されても… と考えてしまう。

 立派な人間。どうも、立派というと、恰幅が良いとか貫禄があるとか、見た目に、目が行ってしまう。
 考え方が立派とか、そういうものもあるんだろうけれど、立派な考え方というのには、こちらの「理想」が多分に含まれているように思えて、何かしっくり来ない。

「立派」というものには、誰が見ても、とか、「客観的に見て」というのが、自動的に含まれるのかもしれない。
 立派な人間。敬愛する人、とか、尊敬する人、なら、今までずいぶん、その出逢いに恵まれてきたと思う。

 それは生き方であり、大きく自分に「入ってきた人」で、影響を受けた人、その人がいてくれることで心強くなった、という存在だ。
 接していて、嬉しく、少し緊張しながら接することになるが、何より「出逢えたこと」それだけで嬉しさを感じさせてくれる存在…

 ブログを書く自分でも、日常生活の自分でも、行為は自分のこころの表れで、気持ちが形になる、と思っている。
 つまり、自分自身は隠しようもなく、接する人にバレる。文章も、そうだろうと思う。
 なるべくリッパを目指さず、そのままで書けたら、と、いつもそう思う。