戦争について考える(2)

 すると、自分は何だ、と思った、こんなブログ、自己開示サイトにせっせと投稿、ああ読まれた、読まれなかったと一喜一憂、それに捉われまいとしながら、気にする自分とは?

 自己承認願望。認められたい欲望の発露。

 まわりの評価なんか気にするな。そんなことより、なぜこんな心理、心、欲、願望があるのか。こんな心があるのは仕方ない。自分がなぜ存在するのか?と同じ、答のない問い。仕方ないとあきらめて、じゃあ、なぜこの心が悪い方(自己を苦しめる、他者を苦しめる)へ働いてしまうのか。

 しかし、そっちの方へは、あまり考えられなかった。「なぜ、あるのか」ここの原因、究明したくって。

 そんな、ぼくは人間のことを知らない。かろうじて知っているのは、この自分が何を考え、思い、生きているのか、といった程度のものだった。

 いいね!が増えることを短絡的に喜ぶ、そんな自分にはなりたくなかったし、奇妙な投げ合いからポイントが増えるというシステム、ランキングなんかに捉われるより、もっと考えろ。自分の内へ、もっと自分の内へ。

 そんなふうにして書いて、ふいに不安、心細くなる。一体、何のために書いているのか。人に、読まれるためだろう? 素直になれよ、もっともっと読まれたいんだろう? ランキングのトップに立ちたいんだろう?

 素直になれよ。ほかの人と、交流しなよ。そしていいね!を分け合って、トップを目指せよ。やり甲斐、あるぜ。

 ムリムリ。おかしいよ、そんなシステム。捉われたくない。

 寛容になれよ。許してやれよ、認めてやれよ、おまえ、おまえを。

 そんなところで、うだうだと、書いているということだ。

 戦争について、ほんとに考えているのかい? …