自分の弱さを思う。
しかし、弱さとは、何なのだろう。
傷つくのは、弱いからなのだろうか。
私は自分を弱い人間だと思っている。
ということは、強い人間がいるはずだ。
強い人間 ──
真っ先に思い浮かぶのは、某自動車工場で働いていた時の、私の直属の上司だ。
大きな眼で、真っ直ぐに人を見る人で、「あの人はすごい」といった評判も耳にしていた。
一体何がすごかったのか、その具体的な事例が浮かんでこないのも、またすごいところだと思う。
その上司の印象を書けば、
1)何事にも動じない。動じても、常に冷静である。
2)判断が早い。しかもその判断は、大抵間違っていない。
3)説得力のある物腰、口調で人に対する。
4)堂々と、象のように歩いている。
5)偉ぶらなくても、自然に「あ、この人、偉い」と思わせるオーラのようなものを持っている。
こんなところだろうか。
すると私は、
1)些細な事でいちいち動じる。
その些細な事に、すぐ自分が持って行かれる(自分を失う)。
2)判断はできるが、それを自信をもった態度で人に言えない。
3)(自分は)「~だと思うんだけど」というふうに、相手に最終的な答を誘うような話しぶりをする。
4)自分の短い歩調を気にして、ロバのように歩いている。
5)偉ぶりたくても、偉ぶれない。
こんなところだろうか。
すると、傷つくということは、1)の、「些細な事でいちいち動じる」に当てはまりそうである。
しかし、動じない人は、傷つかないのだろうか。
違うと思う。心があれば、傷つくはずである。
動じない人は、自分の傷つく心を包容する、もうひとつの心を持っているのだと思う。
心の周りに、さらに大きな心を持っているのだ、きっと。